reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

14歳ホームレス中学生。希望は、戦争

前回のエントリへのブックマークで、いくつか「BI(ベーシックインカム)はシングル(独身者)に厳しすぎる制度だ」という意見がありました。「独身税」「就業シングルが子沢山のイケメンの踏み切られ台になる」などの意見もありました。


違うよ、ぜんぜん違うよ!(←文字大きくできました m(__)m )


確かに、試算ではBI導入後、シングルの収入が減っています。


これについては、前回のエントリでも緩和策をいくつか示しました。さまざまな調整をすれば、収入源は緩和されるでしょう。そのための計算も、それほど難しいものでもありません。たとえば、「16歳になるまでの子どもはBI収入を5万円とする」、などです。


しかし私は、今エントリではその緩和策をいったん棚上げして、BIの導入によってシングルの収入が今より減ることは当然のことだし、それで何の問題もないと主張します。


その根拠は、「なぜBIの導入によってシングルの収入が今より減るのだろうか?」という問いに答えることでわかります。

「BI収入」の内訳

たとえば、両親に子ども2名の場合のBI収入は、試算では384万円です。


しかし、
 BI収入=384万円=世帯収入
ではありません。


あくまでBIは個人に配られるものです。


だから、
 BI収入=384万円=96万円(夫)+96万円(妻)+96万円(子)+96万円(子)
なのです。

日本の賃金体系は、「生活給」

グローバル化が進み、日本でも「成果主義賃金」という言葉が当たり前に使われるようになりました。しかし、実は日本の賃金体系は成果主義賃金にはなっていません。


賃金は、予算に計上された総原資をどのように配分するかによって決定されますが、景気悪化による業績不振から、賃金総原資が抑制されています。
正社員の現在の「成果主義賃金」は、従来の「生活給」をもとに、あくまで配分を変えているに過ぎず、大きな制度変更をしているわけではありません。


「生活給」は、一般的な家族を養える賃金がモデルになっています。日本の給料体系は戦後「生活給」として組み立てられてきました。その意味で、賃金は労働力の価格ではありませんでした。労働力の価格と賃金はリンクしていなかったのです。賃金は労働の成果に対して与えられるというよりは、家族が生活するために必要な保障をおこなうものでした。*1


したがって、BI導入によって賃金が生活給的意味合いを失えば、個人の収入がそれに応じた額になるのは当然です。


シングルの収入がシングルに合った金額になることはなんら問題はないのです。

では、減った分はどこに行ったのか?

シングルマザー(ファーザー)のと子ども1人の場合

<BI導入後の収入>

年収(万円) 社会保険料 税金 BI収入 控除後所得 差額
100 48,000 570,000 1,920,000 2,302,000 1,423,000
300 122,000 1,726,000 1,920,000 3,072,000 474,000
500 200,000 2,879,000 1,920,000 3,841,000 -338,000
700 278,000 4,032,000 1,920,000 4,610,000 -1,014,000
1000 362,000 5,782,000 1,920,000 5,776,000 -2,037,000
1500 437,000 8,737,000 1,920,000 7,746,000 -3,358,000
シングルの場合

<BI導入後の収入>

年収(万円) 社会保険料 税金 BI収入 控除後所得 差額
100 48,000 570,000 960,000 1,342,000 463,000
300 122,000 1,726,000 960,000 2,112,000 -449,000
500 200,000 2,879,000 960,000 2,881,000 -1,222,000
700 278,000 4,032,000 960,000 3,650,000 -1,898,000
1000 362,000 5,782,000 960,000 4,816,000 -2,910,000
1500 437,000 8,737,000 960,000 6,786,000 -4,193,000


お分かりでしょうか?両者の差は、子どものBI収入なのです。


このことは何を意味するのでしょう?


これまで、子どものための収入は世帯主の給料に含んで計算されてきました。しかし、BI導入後、子どものBI収入96万円は明確に個人に分配されることになるのです(これは、配偶者に対しても同じです)。


逆に言えば、ほぼ一律に、勤労者は収入が減るのです*2

BIが試算を再配分する相手

BIは現在の低所得者の収入を厚くします。
しかし、「低所得者層」とはどのような実態にあるのでしょうか?


NHKスペシャル「ワーキング・プア」では、2人の子どもを抱え、昼夜問わず働き続けるシングルマザーを取り上げていました。離婚後、30歳代女性という、雇用に対して非常に不利な立場で何とか仕事を見つけこなし、子育てをしていました。
「苦しい」ということをこの方は率直に語っていました。苦しいけれど、彼女は仕事に家庭に奔走し、家族を養い生活を維持していました。その姿には感動し、頭が下がりました。


この方のように苦しい生活でも、なんとか日々を送っている方はいます。
しかし、自分の生活を営むことから、落ちていく人たちもいます。


ホームレス中学生」という本が話題になりました。ある程度裕福な家庭に育っていた著者が、突然父の破産により家族を「解散」され、ホームレスとして生き抜くという実話です。悲惨な実態を、ユーモラスなエピソードと語り口で書かれたこの本は、多くの人の共感を呼びました。
このような経済的な問題(また、親権者の怠慢や認識不足)から、家庭が空中分解してしまう実態は、実は、数多くあります。
また見かけ上は「家庭」であっても、内部崩壊し、子どもがひどい虐待を受けている例は、残念ながら、児童福祉の現場ではそれほど珍しいものではないそうです。


虐待には、身体的・性的な積極的な暴力もありますが、ネグレクト(無視)、育児放棄、養育義務の倦怠など、子どもが成長していくのに必要な助力がされない、いわば消極的な暴力もあります。


家庭の向こうには、「見えない」子どもたちの姿があるのです。


「同情するなら金をくれ!」という言葉が流行った古いドラマがありましたが、ある部分では、子どもたちに金銭的な援助がなされることで救われる例もあります。
BIは個人に対して金銭を保障することで、この問題への道筋を開きます。


DV(ドメスティック・バイオレンス)という言葉も一般に認知される言葉になってきました。(主に)配偶者の暴力に耐えかね、家庭を去ることを希望する人たちに重くのしかかるのは、ひとつに金銭的な問題です。
経済的に自立できない、という理由で暴力に耐え続け、また一時避難施設(シェルター)に避難しても結局暴力を振るう相手のもとに戻る、というケースも多いようです。
この問題は心理的なケアなど多くの助力が必要ですが、多くのケースで金銭的な援助は不可欠だと思われます。
Biは、この問題でも道筋を開きます。BIは個人に対して支払われる保障ですから、扶養関係になくとも金銭が支給されるのです。


BIが富を再配分する相手、それは

  • 貧困層の大人
  • 子ども
  • 経済的自立が難しい大人(主に女性)

などなのです。

具体例

以下、フィクションですが、具体例を考えて見ましょう。

夫、妻、子ども2人の4人暮らし。夫は仕事をせず、無収入。BI収入の384万円を「一家の主はオレだから、オレの金だ!」と独占し、パチンコ・飲酒・風俗など享楽三昧。消費者金融で借金までこしらえている。家では妻や子に暴力を振るうが、BI収入が減るのを恐れ、妻や子を手放そうとしない。妻は無気力となり、子どもは満足な食事もとれず、学校も通えていない

こういうダメ人間が世帯主の場合、どうするか?


当然、BIの導入をするしないにかかわらず、この家庭は大きな問題を抱えていますので、しかるべき仲裁と援助が必要となるでしょう。


DVからの避難という形で妻や子が家を出て行くという選択肢もあります。


その場合でも、BIは収入に関してはシンプルに問題を解決します。
世帯でなく個人に支払うのですから、BI収入は妻と子にそれぞれ支払われます。


子が放置されている場合には、行政による子どもの保護が必要になるかもしれません。その際にも、支援としての現物給付とは別に、BI収入が子どもには支払われます。


残された夫はどうするのか?BI収入が本人分のみになりますから、それで生活していくことになります。
働けず、借金も多額なら、自己破産などの手続きも必要でしょう。
それは、現在と変わらないと思います。

「14歳ホームレス中学生。希望は、戦争」?


昨年、雑誌「論座」誌上で一本の論文が話題を集めました。「「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。赤木智弘 氏)という文章です。


その内容は、

赤木氏の議論の根幹には、「左翼は弱者を救済するというが、本当の弱者は弱者として定義すらされていないという左翼的な定義を拡張するならば、おれたちのように弱者だと言われてこなかった連中こそ本当の弱者なんだから、いますぐ女性でも外国人でも障害者でもない中年男性フリーターに注目しろ」的な論理のアクロバットがあり、おそらくはそれが一部の男性読者のルサンチマンに受けたのだと思う。
http://www.hirokiazuma.com/archives/000362.htmlより引用)

というものでした。
彼は、「戦争」をしたい訳ではなく、現状を抜け出す道筋が見えないなら、戦争という別の秩序のほうがマシだ、と主張したのです。


赤木智弘氏は、同世代のフリーターが漠然と抱いている不安や不満を「希望は、戦争」という言葉で示して見せました。男性フリーターは、「見えない」存在だったのです。


同じ「見えない」存在の子どもや女性の「声なき声」を代弁するなら、


「14歳ホームレス中学生。希望は、戦争」


なのかもしれません。


そのような言葉があふれ出てくる環境を変えるためのコストとして、収入の一部を社会に還元することに、私は何のためらいも感じません。
BIによって、各個人の最低限の生活が、他人に侵害されずに守られるとすれば、それは必要なコストだと思うからです。


シングル、というより勤労者の収入がBIによって減ることは、「声なき声」を守ることになるのですから。


要は、どの角度から問題を見るかだと思います。

次回予告

次回は「フリーライダー問題」を取り上げたいと思います。

*1:逆に言えば、中年のシングルは少数派としてモデルには考えられていませんでした

*2:イケメン子持ちに金が入るわけではないのです