「パイ」を大きくするために出来ること
このエントリは、
の続きです。
今回は「パイをどのように大きくしていくのか」についてです。
「パイ」とはなにか
「パイ」について、以前のエントリでは明示しませんでした。
「パイ」とは、売れるコンテンツのことです。
コンテンツが野ざらしになっている状態では、「パイ」とは言えません。
売れなければ、「食べられるパイ」に、「分け合えるパイ」にはなりません。
売れる状態になっているコンテンツ、それが「パイ」です。
「分けられるパイ」を増やすこと
では、「パイ」を増やすとは具体的にどういうことか。
3点挙げます。
1)現在のユーザーの視聴領域を拡大する
たとえば僕は、知っているのは'70sのロックとプログレばかりで、邦楽や'90s〜のロックなどほとんど知らないし聴きません。トランスって何ですかそれは?という感じです。
僕がこれらのコンテンツを買うようになれば、新たに「パイ」が増えることになりませんか?
いくらプログレ好きな僕だって、今度の休みの日は彼女とデートだ、海岸沿いをドライブだ、と言うときに、こういう曲
「21st Century Schizoid Man」King Crimson
ばっかりチョイスしたら引かれますよね。楽しいデートが狂乱の幕開けになります。
「やっぱり、海岸沿いならサザンでしょう」とひと声をかけてもらえれば、こういう曲
「Tsunami」サザンオールスターズ
をiTune storeで購入し、それを流して良い雰囲気になり、楽しいデートが出来るわけです。
現在、音楽に触れている層(主に若者)に、「さらに面白い音楽があるよ」とお誘いをするわけです。
2)これまで全く「コンテンツを買う」ということをしてこなかった層にアプローチする
ところで、たとえばうちの親は、全くCDを買いません。そもそも、音楽プレーヤーのたぐいをいっさい持っていません。演歌と落語のカセットテープを数本持っているくらいです。
もしそういう人が、ちょっと古い歌謡曲を聴きたいと思ったとき、当たり前ですがDLサイトなどには行きません。通販の全集をながめて、「高い……」とため息を漏らすのがせいぜいでしょう。指標となるアーティストやアルバムを知らないので、新たに手を出すことがなかなか難しいのです。
「オマエが買ってやれよ」と言われても、何を買って良いのか、こちらも困ってしまいます。親が何を好きなのか、それも分からないからです。テレビでときたま流れる歌謡ショーを見るくらいですし、携帯電話だって電話機能しか使えません。「着うた?なんだそれは?オマエ何くだらないこと言っているんだ」の世界です。先日ようやく孫のメールを受け取りました。そんな感じです。*1
うちの実家の近くは、そういう人が多いです。この人たちは、そもそも音楽をわざわざ買って聴く、と言う発想がありません。テレビやラジオから流れてくるものを聴くだけです。
この人たち(主に高年齢層)にもしコンテンツを買ってもらえれば、ものすごい顧客になるのではないでしょうか?「パイ」が大きくなるわけです。
3)「案内人」を増やす
僕は邦楽をあまり聴かない、と書きましたが、友人に連れられてライブには足を運んでいます。
友人は毎月新譜を二桁買い、ライブは月2回行っています。音楽雑誌にもよく目を通していて、非常に詳しいです。
彼のおかげで僕は、あまり回り道をせず豊かな楽曲に触れることが出来ます。
回り道をすることが分かっていれば、多分僕は足も踏み入れないでしょう。
コンテンツ産業の側が、こういった「アドバイザー」的な役割を果たしてくれる人をユーザーの中にどんどん作っていくことで、パイは増えていくのではないか、と考えます。
時間が無くてお金があれば、人は情報を買う
僕も、今自分が知っている以外のジャンルや年代の様々な音楽を聴いてみたいと思っています。一通りの音楽を聴いてみたいです。現代音楽史を体験してみたいのです。
しかし、それには情報が足りない。見取り図がない。触れられるコンテンツも少ない。
だから、「見取り図」となるコンテンツが、基幹となるひとまとまりの楽曲たちが欲しいのです。
「これを聴けば、現代ジャズ史が一通り聴ける」というようなサービスが安価で提供されれば、僕は買います。
もう高校生の頃のように自分で探すという時間がないので、その時間を肩代わりしてくれるサービスを買いたいと思っています*2。
全く聴いたことがない人たちを引きつけられるようなサービスは、棚にアルバムを陳列しているだけではダメでしょう。ユーザーの購買マインドを引き上げるような積極的な口上が必要となるでしょう。いくつかのコンテンツは無料で配布する必要があるでしょう(当然、クリエイターへの著作料はコンテンツ業者が支払います)。
ニコニコ動画やYouTubeでは数多くの動画が上がっています。それらを一覧にしてコメントを書くだけでも、「案内」が出来ます。そういう形態もひとつの販売の「呼び水」としてコンテンツ産業のモデルになるかも知れません。
お金を持っているけれどなかなか時間を持てない、でも通勤の電車や車なら音楽が聴ける、こういう大人へのアプローチが携帯音源、iPodや着うたなどでした。けれど、iTune storeにしても着うたにしても、今流行りの曲をチョイスするのがせいぜいです。広大な音楽空間に羽を広げてそこに連れて行ってくれるような「案内者」はいません。
もったいない!
情報を欲しい人はいるんですから、それに適切に応えるようなサービスがあれば、「パイ」は増えると思います。
「パイ」の分析
現在、多くのコンテンツが一部の新譜に頼っているかと思います。
しかし、コンテンツの「パイ」は新譜のみにあるわけではありません。開拓できる過去の曲は山ほどあります。
たとえば以下のような表を考えます。右に年代、下にジャンルです。
'50S | '60S | '70S | '80S | '90S | '00S | |
---|---|---|---|---|---|---|
洋楽 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
ジャズ | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
邦楽 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
クラシック | 19 | − | − | − | − | − |
アニメ・ゲーム | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
年代とジャンルで25に区分してみました。1〜25は区分番号です。クラシックは年代ごとに新曲がバンバン出るものではないので1区分にしました。
ところで、これら1区分の中に、その年代の各曲にアクセスできる「基幹」となる曲がどのくらいあるでしょうか?見取り図となる、その時代の名盤です。
僕が最初に上げた5000曲を当てはめると、1区分200曲となります。
その時代の名盤をアーティストのベスト盤とし、1アルバム10曲と考えると、1区分20アーティストになります。
これはとても少ない数ではないでしょうか?
たとえば、「洋楽」の「70年代」を簡単に上げてみます。順不同です。
- レッド・ツェッペリン
- ディープ・パープル
- クイーン
- ローリング・ストーンズ
- イーグルス
- 10cc
- キッス
- キンクス
- アバ
- エリック・クラプトン
- ジェフ・ベック
- キング・クリムゾン
- ピンク・フロイド
- エマーソン・レイク&パーマー
- イエス
- ジェネシス
- ボズ・スキャッグス
- ビリージョエル
- エルトン・ジョン
- ギルバート・オサリバン
……それぞれのアーティストのベスト盤1枚ずつでも、これだけです。
ものすごくアーティストの数が少なくて偏っているリストだと思いませんか?
ハードロックとプログレに偏りまくったリストです。パンクは一つも入ってませんし、フォークも少ないです。「ジャムはどうした?」とか「サンタナはデフォだろ」とか「アシュラ・テンプル無しでその後のトランスをどう語るんだ」とか「ピンク・フロイドをどうやってベスト盤で紹介するんだ」とか*3、つっこみどころ満載なリストですね。
一言で言うと、これは「センスがない」。reponにはセンスがない。偏りすぎている……でも、20アーティストに絞ったら、いずれにしろこういう結果になるでしょう。
他の時代+ジャンル区分でも、同様だと思います。20アーティストでは、とても収まりきらない。
要するに、その時代の指標となるアーティストを抜き出すだけでも5000曲はとても少ないということがご理解いただけるかと思います。実は5000曲というのは最低限の数なのです。
表を再掲します。
'50S | '60S | '70S | '80S | '90S | '00S | |
---|---|---|---|---|---|---|
洋楽 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
ジャズ | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
邦楽 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
クラシック | 19 | − | − | − | − | − |
アニメ・ゲーム | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
いわゆる「コンテンツ」の主戦力は、色をつけた区分のところ、つまり90年代以降の洋楽、邦楽、アニメ・ゲームばかりで、他のジャンルはコンテンツ産業の側も押し出せていないし、ユーザーの側もそこに手を伸ばせていない気がします。
ある程度その年代そのジャンルの「見取り図」を持った人は、そこから手を伸ばして様々な楽曲を手に入れ楽しみますが、そもそもそのような「見取り図」を持っていなければ、手近の楽曲で済ませるでしょう。せっかくの「パイ」に、コンテンツ産業側もユーザー側も手を伸ばせないのです。
逆に、「見取り図」を持っていれば、触れた経験があるなら、どんどん自分から楽しい世界を広げ、コンテンツ産業は成長するわけです。
ユーザーの「見取り図」というセンスを育てる
指標となるアーティストの楽曲を聴き知れば、「見取り図」が手に入る、そのことが消費マインドを上げ、コンテンツ産業の「パイ」を大きくしていくことに繋がると思います。
「見取り図」を「教養」とか「センス」と言い換えてもいいかと思います。
「教養」とは、自分がどの位置に立っているかを、一望俯瞰してみることの出来る知的な力を指します。
たとえば、今、自分が聴いている「Here There and Everywhere」(by ビートルズ)という曲が、とても良い曲だという感情から一歩認識を踏み出して、どの時代のどのような潮流の中でどのように形成され受容されていったのか、それを知る、ということです。
そのためには、同じアーティストの他の曲を知ることやそのアーティストを育てた先行するアーティストの楽曲、影響を請け合ったアーティストたちの楽曲を知ることが必要です。そうすることで、自分が今聴いている曲から一歩進んで、さらに新しい曲を知り開拓していくことが出来ます。
また、他の人たちと知を共有できます。お互いに深く狭い範囲の曲しか聴かなければコミュニケーションの取りようがありませんが、聴いたことのあるアーティストたちが重なっていれば話題にすることが出来、「それならこんなのが面白いよ」とお互い情報交換したり意見を述べあったり出来ます。
そのために、基幹となる楽曲を、出来るだけ多くの人が触れやすい環境に置くことが、僕は重要だと考えます。重要な点は、環境、です。触れた経験です。それが、「パイを食べたい」と思うユーザーを増やします。5000曲という基準は、この触れられる環境です。
5000曲を聴け、じゃないとセンスは磨かれないぞ、ということではなく、5000曲がひとつの出発点になるのです。
指標となる5000曲にいつでもアプローチできる状態が、「パイ」を増やす呼び水となるのです。
図書館やレンタルCDの利用などは、いわば「お試し」という位置づけでいいのではないかと思います。
それらを聴くことで、ユーザーの中に、「音楽アドバイザー」が育ってくれるのです。
同様のサービスをweb上にも展開できないでしょうか?系統的に、そのジャンルその時代を駆け抜けられるような「案内」が。
ニコニコ動画やYouTubeなどで手軽に触れることが出来るコンテンツには、そのポテンシャルがあると考えます。
さらに一歩進めて、それらのコンテンツを歴史的な文脈で整理して案内してくれるような「案内人」がいれば、僕らはツアー客のようにその案内に従って、僕らにとっては「未知の」楽曲に触れていくことが出来るのです。
新規ユーザー獲得の要
実は、「パイ」を増やす対象となるものすごい厚い層がいるんです。
それは、子どもたちです。
子どもたちにとっては、全ては未知の音楽です。全て新しく、興奮の対象となります。彼らに音楽の楽しさを体験してもらうことで、彼らは「パイを食べたい」という受け手に育っていくのです。
この子どもたちが「買えない」という理由だけで基幹となる楽曲に触れられなければ、長期的に見て「パイ」は縮小再生産されていくと思います。
子どもたちは、自分のお小遣いでは5000曲にはアクセスできません。
僕も、子どもの頃は図書館やレンタルCDで借りたり、ディスクユニオンで中古CDを目を皿のようにして探しました。
友人同士で貸し借りしていました。
バイトで稼いだお金をやりくりして、時折新譜を買いました。
新譜を買うのはとても大変なことでした。
子どもの頃、音楽を聴いたことで、今でも音楽を聴こうという気になります。
多少なりとも、音楽を薦める立場になったりもします。
けれどそれは、やはり系統的に触れた'70年代のロックが中心で、流行の曲は時々聴いていましたが、今新譜を買う気にはなりませんし、カラオケで歌うこともありません。
一言で言うと、アクセスがめんどくさい。気力が湧かない。誰か導いてくれる人がいれば、聴く気にもなれるんですが、独力ではその気になれません。
子どもの頃、系統的に十分に啓発することで、その分野の音楽を聴き続けるユーザーになるのだと思います*4。
ニコニコ動画やYouTubeによる「呼び水」
ロック史にその名を輝かせるスーパーグループ「クイーン」は、ライブアルバムは2作しかありません。
しかし、膨大な数のライブをこなした彼らは、そのライブの直接収入だけではなく、ライブ収入としてラジオ局やテレビ局などから多くの報酬を得ていました。
その時代の多くのアーティストは、行ったライブのほとんどが「海賊盤」として流出していくことを避けられないでいました。
ライブをテレビやラジオに流す、と言うことが一般的ではなかったからです。
改めてライブを聴きたいユーザーと、ライブ盤というアルバムとしてしか出すことが出来ないクリエイターの、需要と供給のねじれに、海賊盤がつけ込んだわけです。
買う人がいるから売れる。実際海賊盤はよく売れました。そして、海賊盤の売り上げは当然、クリエイターの側にはいっさい入ってこなかったのです。
この事態をよく知っていたクイーンは、ひとつの手だてを打ちました。
自身が行ったライブのほとんどについて、ラジオやテレビで流す権利を売ったのです。
放っておけば海賊盤として流出してしまうなら、コンテンツを解放してしまいその収益を受け取った方が良い、と言う判断でした。
今では当たり前になったこのような行為は、当時は画期的でした。
ラジオやテレビで「スーパーグループ」クイーンとしてライブが放映されることで、さらにファンは増え、収益も自分たちにもたらされる、そのようなモデルを作ったのです。
ある程度のコンテンツの公開は、多くのファンを獲得する「呼び水」として、また、違法に取引されるよりは公開してしまうことで収益を得る、そのようなモデルとして、有効であると考えます。
そして、現在のニコニコ動画やYouTubeなどの動画サイトは、現在のラジオやテレビと同じだけのポテンシャルを持っていると言えるのではないでしょうか?
今後ますますそれらはユーザーを獲得し、一般化していくと思います。
「案内」の具体例
たとえば、プログレッシブロックについて、上記に上げたアーティストを聴ければ、そこからどんどん他のアーティストを探っていくことが出来ます。「ああ、プログレってこんな感じなんだ。こういうの、好きだな」と思ってもらえたら、どんどん聴きたくなります。
たとえば、プログレッシブロックを楽しみたい方へのガイドサイト
これらのサイトの膨大な情報に、ニコニコ動画やYouTubeなどの動画を付加したら、それは強力な案内になるのではないでしょうか?
「パイ」を増やしていく論議を
「とにかくコンテンツの公開はけしからん」というのは、とてももったいないことだと思います。
議論をその点からアプローチしても、取り締まるという話にはなっても「パイを増やす」という話にはなりづらいのではないでしょうか。
「パイ」を増やす方法について、業界全体で模索をしていくことが必要です。
コンテンツ産業は、著作権を違法コピーから守るだけの「守り」の産業ではなく、「パイ」を増やす「攻め」の産業であると、僕は考えます*5。
僕はコンテンツ産業の中の人ではありませんが、コンテンツを楽しむユーザーの立場からも、こういう思いは持っています。
クリエイターとコンテンツ産業とユーザーがwin-win*6の関係になる、そういうモデルを作っていくにはどうすればいいか、その点を多くの人で議論していくべきではないでしょうか。
長文におつきあいいただき、ありがとうございました。