reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

ブログって

ブログって、思いついたことを垂れ流し的に書くのには適していない気がしますね。

まぁ、書き方が決まっているわけじゃないから、ひたすら行きつ戻りつして書いても良いんだけれど、そうすると見にくくなるし。

その点、Twitter は思いついたことを垂れ流すだけだからラクですよね。SNSもその縛りがゆるいからラクな気がする。

双方向性

ブログについて思うのは、たのプラットフォーム(SNSとかTwitterとか)に比べて、やりとりの即応性が弱い、と言う気がします。


まだ具体的に形にはなっていないアイディアを、いろんな人と一緒に叩きながら仕上げていく、というやり方には向かなくて、ある程度アイディアを具体的な形にしないと意見をもらいづらい。

逆に、内容がきっちりしているエントリなら、SNSのクローズドな性格やTwitter共時的な性格の縛りから離れて、もっと広範囲の意見を聞ける、ということではありますね。


はてダに限らず、ブログのコメント欄って見にくいですよね。

本当にここでやりとりさせるつもりなの?って言う気がする。正直、コメント欄でのやりとりは見づらくてつらいです。

だから、コメント欄はあまり使えないとおもう。


コメント欄でやりとりするか、TBを飛ばしてエントリ同士でやりとりするしかやりとりの手段はないのだけれど、コメント欄は見にくいし、エントリ同士でやりとりすると、きっちりしたエントリでないと誤解が生じて面倒なことになったりする。


どうもブログというのは、ある程度完成した原稿をアップするには良い場所ですが、情報が生成する場所としてはまだまだ改良の余地があると思います。

編集

このエントリは、どんどん付け足していっているんだけど、このやり方って一部では「アウト」なんですよね。


一旦上げたエントリを変更したり追加した場合、どこが変更・削除・追加に当たるのか、明確にしないと「卑怯だ」という主張がある。


これも、ブログが「完成した原稿をアップする」という暗黙の了解があるからだと言う気がします。

文章が生成していく場所としてのブログは作れるのか?

僕は対談とかインタビューって好きなんですよ。対談と論文を比較するとき、後者を上のものとみなす傾向がありますが、僕はそれらは種類の異なるものだと思っています。

対談は、その場で議論が生成する楽しさがある。論文ももちろんその内部では問いと答えの応答がありますが、結果のアウトプットが重視される。対談は、論者が思ってもみない方向に議論が進んで、思ってもみない結論なり論点なりが現れてくる。


ブログは論文的な文章を提示するのには適していますが、対談形式のような、その場で論が生成されていくダイナミックさはない。


Twitterがそういう点では対話のメディアとして優れていますが、Twitterでの議論は、それぞれフォローしている人間が違うので、同じ議論には見えません。

Twitterでの議論を抜き出すにしても、編集行為が入ってしまう。ダイナミックさが消えてしまう。


ブログが、多くの人の目に触れるという特性を活かしながら、結果に至る思考のプロセスをもあらわれる、対話メディアとしての表現形式を作り出せたらかなり面白いのではないかと思います。

試しにどんどん書き直してみる

ということをやってみようかと思いました。

意見がもらえたら、それに併せてどんどん内容を改変していく。

別に決まりがあるわけではないので、かまわないですよね。

「ブログ批評」の形式が貧困なのかも

とか思った。ブログの形式ではなく、それを受けて論じる「作法」が実は貧困なのかも知れない。


賛成・反対・疑問など、立論のやり方はありますが、一緒にテーマを論じる、という「作法」になっていないのかも知れない。


そのテーマを受けてブラッシュアップしていく「作法」は一般的なんでしょうかね?


もしそうなら、それは面白いと思うのですが。