reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

あたらしい世界を作るには、あたらしい言葉を覚えるのが手っ取り早い

英会話の力は、たとえ完璧な自動翻訳機ができたとしても、その重要性は色あせません。

著者は、「一言語一人格」を説く。速い話、一つの人格が話せる言語はたかだか一つであり、多言語を話せる人の中には少なくともそれだけの人格がいる、ということである。

さすれば、英会話を学習するためには、英語だけ話す人格を「一人」育てなければならない。そうするためにはどうすればよいか、というのが本書のHowの部分である

これは全く同意です。

あたらしい言葉を覚えると言うことは、自分のあたらしい人格を作り上げること、自分の人格を入れ替えることに相当すると思います。

「英会話」とは、「英語」で「会話」をすること

昔、半年ほど英会話に挑んだことがあります。

海外旅行をしたときに、友人が英語で話しているのを見て、よし自分も!と奮起したんですね。

ネイティヴの先生とマンツーマンでレッスンをしました。


しかし、挫折しました。

やる気は満々。発音も悪くないと思っていました。

でも、ダメでした。

理由は簡単で、「会話が続かない」のです。


日本語ですら、多様な会話が出来ないのに、どうしてそれを他の言語だとぺらぺらしゃべれると思うのか?

根本的な矛盾に突き当たりました。


とにかくしゃべれないのです。

英会話、というと日常の話をするのですが、先生はなかなかインテリジェンスな方で、その日の新聞の話題とかを振ってくるのですね。

「ヘイ!捕鯨問題についてはどう思う?」とか。


それは、日本語でも答えられないっす。


英語がどうこう以前に、日本語ですら会話について行けていなかったんですね……


そして、自分が日常的に話している「日本語」が、いかに貧しいモノであったかを思い知らされました。

そう。日常会話そのものが貧しかったんです。

言葉には、内容のあるメッセージの交換という側面と、内容のないメッセージを交換することでコミュニケーションを行うという側面がある

言葉には、メッセージの内容がほとんど無くてもコミュニケーションの道具として役立つという側面があります。

たとえば挨拶はその典型です。

「こんにちは」という言葉に含まれている内容はほとんど無です。

けれど、「こんにちは」「こんにちは」とやりとりすることで、「私はあなたを歓迎しているよ」というコミュニケーションを繋ぐことが出来ます。

そして日々の会話は、こういったほとんど中身のない会話、内容の無いメッセージの交換ではなくコミュニケーションを繋ぐ行為で成り立っているんですね。


振り返ると、ほぼ同じ人々と、ほぼ同じような単語の繰り返し、それが日常の会話でした。

挨拶と同じレベルで、同じ会話を繰り返していただけだったんです。

どのような人脈の中にいて、どのような言葉の体系にいて、どのような内容の話をするのか。そういったいくつもの檻に、自分の心は閉じこめられて、閉じこめられることで安心していました。

コミュニケーションから「対話」に移行する難しさ

だから、「英会話」ということで、こういった日常的な、内容の無いメッセージの交換ではなく、内容のあるメッセージを交換しようとした瞬間に、自分が持っている「ことば」の貧弱さに気づくのです。

僕に必要なのは、日本語だろうが英語だろうが関係なく、教養でした。


このネイティヴの先生は非常に優しい方で、忙しい身でありながら、休日に呼び出してくれて、プロレス好きだった自分を観戦に誘ってくれ、その後熱心に進路相談に乗ってくれました。

「仕事は簡単に辞めない方が良い。しばらく休んだ後、きっとどうして良いかわからなくなるから。君が好きな仕事はなんだい?旅行が好きだったよね。だったら、たとえば旅行社に勤めるのはどうだろう。僕だったら、履歴書を100枚書いてどんどん送るよ。それくらいする。がんばれ」

という話をしてくれました。

これだけ中身のある話をしてくれる人に日本人もアメリカ人もありません。

非常にありがたいアドバイスでした。

アドバイスは英語でしたが、なんとか理解しました。

それに上手に答えることは、迷っている自分には、日本語ですら答えられなかったので、出来なかったのですが。


そういう、人格的にもすばらしい先生に出会えたのに、半年で自然消滅しました。

いっぱいいっぱいになってしまったんですね。


先生に、「もっと簡単な会話をしたい」という事を英語で伝えることすら出来なかったんです。

どもりがちになる自分に嫌気がさして、そのことをうまく伝えられずに、気力が萎えて、終わってしまいました。

あたらしい言葉に出会うことで、あたらしい人格が生まれる

でも、英語のシャワーを浴びて、英語で答えることで、気づいたことがあります。

最初に書いたとおり、英語でしゃべっているときには、それまでのいろんなしがらみから離れられて、「英語人格」になっているんですね。

これは体験しないとわからないと思います。

日本語を、知っている人間と話していることでは決して得られない、全くあたらしい世界に接しているという経験です。


英語を話しているとき、確かに自分の人格は、別の人格に入れ替わっていました。


ですから、「英会話」が単なるツールではなく、人格形成の練習であるという点には全く同意です。

それを、どの年齢で始めるのがよいのかははっきりしたことが言えませんが、大人になってから英会話を始めると言うことは、全然遅いことではなく、むしろこれまで「日本語」に閉じこめられていた人格を解き放ち、別の文化の別の言語によって削り出されるあたらしい人格と出会うよい機会になると思います。


その後、一月ほど単身で海外を回る機会があって、そのときに経験したことはまた別の機会に。