reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

どうして僕は、ロールモデルを見つけられないのか?

僕には、「ロールモデル」となる人がいない。

僕は、どう生きていいのか、指針が見つからない。

だから時々、疲れ果てて、気力も萎えてしまうと、自分を責めて、何となく死にたくなってしまう


自分の中に、基軸となるものがないのだ。


では、どうして僕は、「ロールモデル」となる人を見つけられなかったのでしょうか?




【答え】

 まだ見つけられるだけの準備が出来ていないから。




もしかしたら、すぐそばに、ロールモデルとなる人はいるのかも知れない。


知っている人の中に、すでに僕の「師」となる人はいるのかも知れない。


ロールモデル」となる「師」や「父」というのは、特別な人だ。


特別、というのは、その人は他の人にとってはただのどこにでもいる誰か、かもしれないからだ。


僕が、その人を「特別な人」だと思うから、そう感じるから、その人は、僕にとっての「特別」になる。


「今日から私が君のロールモデルだ。師として仕えたまえ」

「わーい」

とはいかない。


恋愛の構造と一緒だ。


誰かを好きになったとき、それはぐるりと周囲を見渡して、その中からチョイスするわけではない。


恋は、落ちるものだ。

そして、それは、その人が自分にとって「特別な」人だからだ。

自分は、事後的に、そのことを「発見」するだけだ。



その「特別な人」を見つけるためには、足を棒にして歩き回り探し回らなければならない。

探し回るという行為を通して、僕は、その出会いに見合うだけの人間に変化していく。


だから、出会いは偶然であっても「運命」であるし、逆に物理的に出会っても、その人とは「運命」的な出会いにならないかも知れない。



僕は大きな勘違いをしていた。


自分の核になるもの、「アイデンティティ」となるもの、窮地において自分を支えてくれるもの。

そういうものを、「原体験」と名付け、幼い頃かわいがられたかどうかなどに帰着させようとする説明を受け入れていた*1


でも、それは違うよ。全然違うよ。


もし「原体験」を僕が経験していたとしても、僕にその体験を自身の核として変換できるだけの力量が備わっていなかったんだ。


だから、僕は受け取れなかった。


恋人や、ロールモデル(師や父)は、どこかに落ちていて、それを拾えるかどうか、というものではない。

僕が探し回ったその末に、その経過を通して自分が変わることで、「運命的」に、出会うものだ。


僕は、まだまだ探し回る必要がある。


自分を変えるために。

404 Blog Not Found : 哀悼 - わが「父」、重松義行さん

生きる力はあっても、生きる欲がなかった。ましてや、命を分かち合い、そして命を与える欲など。生命力はみなぎっているのに、それをどこに振り向けるべきか全くわからず、そして全く考えていなかったのだ。


こういう状態になったことは、僕もある。

若い人は、エネルギーを持っているものだ。

そして、僕は不幸にも「ロールモデル」を見つけられなかった。


ここでは、ロールモデルとの、「運命的な」出会いがかかれているが、その魔法を受け取れたのは、たまたまid:dankogai氏が幸運だったからだけではない。


出会うべき準備を、弾さんがしていたから、ロールモデルとして受け入れられたのだと思う。




どんな芸術品も、それをわかるだけの美への感覚が育っていなければ、何も心を震わせない。

「美」を知るには、それなりの対価が必要だ。感覚を磨くための、経験が。




「師」を探す過程そのものが、「師」にたどり着くための、たった一つの方法なのだ。

その過程を経ることなく、「師」や「恋人」や「親友」はやって来ない。


*1:たとえば加藤諦三氏の「ママンがかわいがってくれなかったから」理論が脅迫的な迫力を持つ割には解決策をもてないのは、「原体験」という説明に帰着させようとするからだ