reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

いろいろな「自己責任論」

派遣切りされた人間にも「自己責任」がある、と言う議論について - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)への反応について。

いろいろな「自己責任論」

ちょっとびっくりしたのが、「自己責任」という言葉を非常に肯定的に受け取っている人が結構いることに関して。


つまり、「自分が動かないとなにも変わらないだろう」というロジックを、「自己責任論」だと捉えているんですね。




へぇ〜、と驚きました。




「自分が動かないとなにも変わらない」というのは、まったく正しいです。


でも、ちまたで言われている「自己責任論」って、自分がすべきことをするかしないか、ということでしょうかね?

そうじゃないでしょ。

「自己責任論」の急所

一番の問題は、誰が「自己責任」を問うか、と言う点だと思います。


このエントリでも書きましたが、「自己責任論」は、責める人間と責められる人間の関係性なんですね。


責める方は、責めるのみなんです。常に自分を、責められる対象からは外している。


「自己責任論」の特徴は、「この結果になったのは(ほとんどが)本人の責任だ。だから、本人が解決すべきだ」というロジックで、他人が当人を批判する道具にしている、という点です。

人を責めるのは簡単

人を責めるのって、簡単なんですよ。


「先手」を取ってしまえば、後はどうにでもなるのです。


「これまで起きてきたこと」については、どのようにでも物語ることは出来ます。


ある物事の原因は、無数に上げることが出来ます。それこそ星の数ほどに。

そして、その原因のうち、「本人に責任のある」事象を10個並べると、あたかもすべてが本人の責任であるかのように見えてしまいます。

ところが、同様に原因を「本人ではなく環境に責任がある」事象として10個並べることも可能なのです。


結果とは、複数の原因の複合です。

それを一対一対応するかのように単純化するから危険なのです。

「責任を回避する」ための「自己責任論」

さらに、こっそり今後の対策の中に「お前がやれ」というロジックを入れ込んでいる点で、「自己責任論」は嫌らしいし汚らしいのだと思います。

問題が起きて、その解決のために「生け贄」が必要となるときに、ことさら「自己責任論」が叫ばれるのは、当事者であるはずの人間がその責任から逃げようとしているから、ということも考えに入れるべきだと思います。


金美齢氏が周回遅れの議論をしているようで、その実議論をかき回しているのは、「生け贄」としてしっかりと派遣切りされた人たちを捧げようとしているからに他ならないと思います。

「自己責任」で解決するなら問題はない

で、そもそもの発端となった「派遣切り」で、住むところもなくお金もほとんどない、と言う人に「自己責任」を迫っても、政治的な「生け贄」にする以外には、あまり意味がないのですよ。


本人が「自己責任」の効く範囲を超えて、どうしようもなくなっているのだから、どこからか予算をひねり出して、その人の基本的人権である生存権を守るのは当然です。


生存権が守れないからといって開き直って「自己責任だ」と言い始めるのは、本末転倒というか、意図的な悪意を感じます。

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人生の「旅の仲間」が見つかるかも知れませんよ。