エロゲとかラノベばっかりの人の方がマシかも
文学とか哲学しか読んでいない人に比べて。
エロゲやラノベも、文学や哲学も、それそのものとして楽しみ消費することは、健全な行為だと思います。
でも、時々人は
「世界の成り立ちを知りたい」
とか
「物事の根本を知りたい」
とか
「人間とは何かを知りたい」
とか思います。
そういう根本的(ラディカル)な問いには、最終的な答えはありません。
エロゲにもラノベにも、文学にも哲学にも、そういうラディカルな問いの断片がちりばめられています。
それのジャンル間、作品間に大差はありません。
ラディカルな問いの解を知りたければ、各人が、それぞれ他人の経験である「作品」から断片を読み取り、総合するしかありません。
たくさんの「作品」から断片を収集して総合すればそれだけ、自分の求めるラディカルな問いを解きやすいかもしれません。
たくさんでなくても、断片を血肉化して、自分の経験と照らし合わせ洞察すれば、ラディカルな問いの解に近づけるかもしれません。
いずれにしろ、ラディカルな問いの前では、人は無力感を感じる事が健全であると思います。
ところが、文学とか哲学書ばっかり読んでいる人は、それだけを読んでラディカルな問いがわかった気になりがちです。
その度合いは、エロゲやラノベばかりを読んだ場合に比べて遙かに強いと思います。
というか、エロゲやラノベは「所詮エロゲやラノベだから」というバイアスがかかっている分、むしろそういう「全能感」を抱きにくいのです。
そういう意味で、ラディカルな問いの前で、健全に無力感を感じられるのは、「エロゲとかラノベ」を読んでいる人なのかも知れません。