コンテンツ産業は今後質的変換を迫られる
タケルンバ卿のエントリ「音楽業界はどうなるんでしょうね - 音楽メディアユーザー実態調査で考える - (旧姓)タケルンバ卿日記」。コンテンツ産業への考察記事。
たいへん興味深いテーマです。
以前、私もコンテンツ産業のパイを大きくするための考察を書きました。
要約すると、
- 「パイ」は食べやすい形のコンテンツ
- 「パイ」を増やすには
- 現在のユーザーの視聴領域を拡大する
- これまで全く「コンテンツを買う」ということをしてこなかった層にアプローチする
- 「案内人」を増やす
- 時間が無くてお金があれば、人は情報を買う→見取り図を作る
- 新規購入層の要=こどもたち
というわけで、「パイ」を増やしていく議論が必要かと思います。
変わる媒体
ところが、音楽に限らず書籍などの情報は、今後CDやDVDや本という形を取らなくなる可能性が高いです。
CDやDVDや本という媒体を脱ぎ捨てて、単なる情報の束としてやりとりされていくようになるかと思います。
そうなると、販売形態が根本から変化します。
稀少財が変わる
「われら銀河をググるべきやDo We Dare Google the Galaxy?【その06】:ラファイエットの子供たち、もしくは新たなるTweegle千年紀を礼賛してみるのこと - 散歩男爵 Baron de Flaneur (Art Plod版)」さんより、以下要約です。
これまで本は、本棚という制約があり、書店の本棚が「稀少財」でした。
これまで出版社も書店も、この「棚」の稀少性によって、「自分たちだけが本を作り販売する」という独占的権利を得ていたのです。
本を出版できる人は、特権階級でした。
その権利を保障するのが「複製頒布権」copyrightです。
現在の「著作権」は、この「複製頒布権」copyrightを前提としています。
もちろん、誰でも本は書けますし自主出版も出来ますけれど、そんな本は流通に乗ることは難しいですし、書店の本棚にもほとんど置かれません。
「著作権」を持っていても、売れなければお金にならない。
「著作権」は、著作をお金に換えることが出来る人たち=copyrightを持つ人たちだけに意味のあるものでした。
ところが、本が電子書籍化されると、この制約が一切なくなります。
電子的本棚には、無限に本を置くことが可能ですから。
事実上誰でも本を出版し、読むことが可能になります。
すべてがフラットになってしまう。
もはや、稀少でなくなった書店の「棚」の権利は、換金できないものになるのです。
その代わりに稀少になるのは何か?
「ユーザーのリソース」になります。
人々全体の本を読む時間、能力、そういったものの総和です。
電子書籍化された本には、自由に広告が付けられるようになります。
そうすると、「読まれる本」に広告を付ける、というモデルが本の販売モデルになる。
今「はてな」が広告収入から運営されているように、本は広告によって成り立つようになる。
つまり、「読まれる本には広告が支払われ、読まれない本には支払われない」ことになります。
そして広告費を支払う企業にとっては、「どの本が読まれているか」という情報が最も重要な指標になります。
具体的には、大手出版社のノウハウや広告より、グーグルのrank情報のほうが貴重になるわけです。
広告主は、グーグルから得たrank情報を元に広告を打ちます。
グーグルが持っているユーザー情報が最も重要な指標になります。
つまり、稀少財は、「複製頒布権」copyrightから、「グーグルを使う自由」freedom to googleに移っていくのです。
「著作権」は、これからは「グーグルを使う自由」freedom to googleが前提になります。
現在、「複製頒布権」copyrightが富の源泉になっていますが、これからは「グーグルを使う自由」freedom to google、具体的にはグーグルのrank情報が富の源泉になるのです。
そうなると、出版社や編集者はもちろん、作家や書店はまったくこれまでとは異なる対応をしていくことになります。
富の源泉が変わってしまったのですから。
すでに音楽は媒体を脱ぎ捨てつつある
考えるに、可能性があるのはこのあたり。
YouTube(2005年サービス開始)
ニコニコ動画(2007年サービス開始)
iTunes Store(2005年日本オープン)
これらすべてのサービスが、CDやDVDという媒体を脱ぎ捨てたむき出しの情報を扱っているという点が、変化の大きさを示しています。
これらは上記に書いたとおり、質の変化です。
これらのサービスには、無限に置かれる電子の棚が実装されているわけです。
当然、制限のあるCDやDVDの棚は希少性を失います。
そういう変化が起きているのだと思います。