reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

なぜ「暫定憲法」が、完成された憲法よりも長命で機能しているのか?

現在もドイツの憲法である「ボン基本法」は、戦後暫定的に作られたものであるにもかかわらず、90年の東西ドイツ統一以後も、若干の修正を加えられたのみで、効力が続行している。


ボン基本法」は、正式名称を「ドイツ連邦共和国基本法」といい、その名には「憲法」という文字はない。

憲法(Verfassung)とは呼ばず、東西ドイツ統一までの仮の名称として基本法(Grundgesetz)と呼ばれ、当初、東西ドイツ統一の時に改めて憲法を制定することとしていた。しかし、1990年の東西ドイツ統一後も新たな憲法は制定されておらず、ドイツ連邦共和国基本法の一部を改正した状態で効力が存続している。

旧西ドイツの首都だったボンで起草されたため、ボン基本法とも呼ばれる。
ドイツ連邦共和国基本法 - Wikipedia


なぜ、戦後暫定的に作られた「基本法」が、はるかに民主的である「ワイマール憲法」よりも長命なのか?


ドイツの著名な歴史研究家で、数多くの歴史書を著したセバスチャン・ハフナーは「ドイツ現代史の正しい見方」でこう書いている。

基本法の起草者たちはみないわば『大やけどをした子供たち』だったからで、彼らは有権者の気分がいかに移ろいやすく、惑わされやすいものであるか、デモクラシーというものが制約のないデモクラシーによっていかにたやすく破滅の道を突き進んでしまうものか、わが身を通してよくわかっていた。だからそのような体験はもう二度とくりかえしたくなかったのである。


ワイマール憲法というのは、国民が惑わされることのない民主主義者で、分別ある模範的な市民であることを前提に作られていた。基本法は、たとえ惑わされやすく過ちの多い、不完全な人間のもとでも、ちゃんと機能する民主憲法であらんとし、デモクラシーの行き過ぎからデモクラシーを破壊することのないようにと考えてつくられたものだった。
(「ドイツ現代史の正しい見方」第9章)


法は人間が運用する。


果たしてわたしたちは、今日本で叫ばれている全権自由であるような「憲法改正」を可能なほど、

惑わされることのない民主主義者で、分別ある模範的な市民

になったのだろうか?


叫んでいる政治家たちは、そのような「大人」になったのだろうか?


無謬を誇る政治家は、人間が

惑わされやすく過ちの多い、不完全

な存在であること、そのものを否定していないだろうか?


その視点は、果たして「大人」の視点であろうか?