reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

将棋において、最善手は「最善」なのか?

将棋ソフトに見る「フルオート」と「セミオート」の違い - アンカテさん

日曜朝のNHK杯羽生善治 王位・王座・棋聖の将棋を、なんだかわからないままに「スゲー!!!」と見ている程度の自分の、素朴な疑問です。


それは、将棋において「最善手は『最善』なのか?」という疑問です。


「ダークゾーン」

(第23回将棋ペンクラブ大賞作品)
を読んだ時に、「こういう強さががあるのか!」と感嘆しました。


手元に小説がないので、うろ覚えになりますが、将棋の強さについて、以下の様な状況が描かれていました。


小説内では三段リーグでの勝負が描かれます。

主人公が恐ろしく強い若者に負けますが、本人曰く、「なぜ負けたのか、どうしてもわからない」という負け方でした。

要所要所では最善手を打っていたはずなのに、いつのまにか形勢がひっくり返り、気づいた時にはもう手の出しようがなくなっていた。

振り返っても、一体どこが分かれ目だったのかわからない

そこで、同じ三段リーグを戦っている友人にその旨を話すと、「あいつは特別だ。大山十五世名人のような将棋だ。最善手を打っていても、二十手先でそれは悪手になるんだ。そういう将棋を打つ」と。


小説ではそれ以上の言及はなく、「異次元の強さ」だけが際立っていました。

多種多様な駒の配置を、評価点という一元的な数値として一般化する(基準を過去の棋譜から計算で作り出す)数学的手法によって将棋ソフトは急に強くなった。
将棋ソフトに見る「フルオート」と「セミオート」の違い - アンカテさん

つまり、ある局面での「最善手」は、最も「評価点」の高い手のうちのひとつ、と言えるようです。


ところが、小説で「大山十五世名人」的な強さ、と形容されている、「20手先に手が進むと、最善手が悪手になる」という攻防があったとしたら、コンピュータは勝てないのではないでしょうか。

それがセミオートであってもフルオートであっても、「最善手」から将棋を検討している限りは。


もちろん、「最善手」が「悪手」になる将棋でも、それが「盲点」を利用するような将棋、「悪手を最善手だと思うように誘導する」将棋ならば、コンピュータは複数人格を搭載できますから、これは敗れるでしょう。


だから、コンピュータが最善手を打ち続け、それでも人間が「大山十五世名人」的な勝ち方をしたときには、誰もそれを解釈することができない、と言う事態になるのでしょう。


まとめると、

  • 上記の小説で言われている、「大山十五世名人」的強さ、というものはあるのでしょうか?
  • また、「最善手」を悪手に変える「大局的な将棋」というものは解釈可能なのでしょうか?


ともあれ、ようやく最近、将棋を観戦して面白い、と思うようになりました。

それとともに、頻繁にこの疑問が浮かぶので書いてみました。

そんな程度の人間が思った疑問なので、だいぶ見当違いなことを言っていたら、どうぞご容赦ください。