「観光化」を考えるための資料
文系の学問もジャーナリズムもアートも、いまや当事者の声に寄り添うだけのものになり果ててしまったというのが、ぼくの理解です。むろん例外はいるけれど、大勢は明らかにそうです。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 6月 15
でも、当事者の声に寄り添うのは自殺行為です。当事者の声が大事ならば、当事者が作品作ればいい。ブログ書けばいい。映像流せばいい。学者もジャーナリストもアーティストもいらいんだよね。そして実際にそういう流れになっている。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 6月 15
そういう状況への回答が「観光客として振る舞うこと」という倫理なわけです。こういうこと記すと必ず「みなが観光客になれるわけじゃない!」という批判が来るのですが、ぼくは別に、みなが観光客になれと言っているわけではありません。ただ、知はそうしないと生き残れないと言っているだけです。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 6月 15
色々と考えさせられるので、あとで検討したいです。好意的です。