「選ばれた?誰に?何に?」

「君たちは決して呪いから出ることはできない。僕がそうであるように、箱の中の君たちが何かを得ることなどない。この世界に何も残さず、ただ消えるんだ。塵一つ残せないのさ。君たちは絶対に幸せになんかなれない」

バカの壁

404 Blog Not Found : バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへさん

バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ

この文章の肝は、

食べきれぬほどの料理が手をのばせば届くところにあるのに、なぜ給仕が来ないことを嘆き続けるのか。

それが私にはわからないのだ。

ここにつきると思う。

id:dankogaiさんは、非常に正直に、この言葉を言われていると思う。それ故、認識の亀裂が広がる。


問題は、誰にとってバイキング式と見えるか、である。

id:dankogaiさんにとってはバイキング式と見えるレストランでも、別の人間には注文の仕方すらわからないだろう。




有り体に言えば、これはバカの壁だ。認識の壁が、立ちはだかっているのだ。




いや、分かり合うとか、そんなことはどうでもいいのだ。問題は、どうやったら多くの人間がそこに手を伸ばせるのか、その方法である。




たとえばdanさんには、小金があったら銀行に入れておくよりポートフォリオを組んだ方が利回りが良いという認識は、当然のものだろう。

しかし、多くの人間は銀行にお金を預けっぱなしにする。良くて国債を買うくらいだ。株のような元本保証のない商品など、バクチにしかみえない。それが多くの人間の「常識」である。

この「常識」が異なっているので、多くの人は、danさんにとっては全く当たり前に見える景色に、手が届かない。見ることが出来ない。




以前、僕の友人どうしが小競り合いをしたことがあった。

ある友人が、「自殺する人間の心情がわからない。図書館でもテレビでも何でも、情報はそこら中に転がっているじゃないか。すぐ絶望するその気持ちがわからない」と言って、他の友人から「こころがない」と袋だたきにあっていた。

その光景を見ていて、ああ、ずれているな、と思った。

問題は、情報にアクセスする経験を持った友人が、その経験がない、と言う他の人間の感覚へ想像力の翼を広げなかったことであるし、その逆もしかりだった。

お互いが「バカの壁」に遮られ見えているものが違うことに思いいたれば良かった。

その上で情報へのアクセス方法について具体的に共有するべきだった。




バカの壁」を、自身を覆う壁を突破するにはどうすればいいのか?

それは知識か、経験か。どちらも必要だろう。

ネットは、その壁を越える方法にアクセスする機会を爆発的に増加させた。

しかし、まだ多くの人間は(僕もそうだが)そこにアクセスする作法を知らない。

この作法を汎用的なものとして伝えることが出来れば、もっとも有益であろう。




けれどきっと、この「アクセスの作法」は、それぞれの個人がそれぞれのやり方で(有り体に言えば失敗の繰り返しで)経験的に身につけていくものなのだろう。

だから、知識を授けるようには伝えられない。




今は、何が問題なのか、その「問題の所在」を示すのみにとどまるのだろう。