reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

心の病気は、「病気」だけを治すわけではない

ねこねこブログさん


基本的に、病気を治して社会復帰(働けるようになる)ために、薬物療法心理療法はあって、病気が長引いて、障害年金をもらって生活している方でも、調子がよくなれば、ちゃんと働けるように治療を続けて社会復帰を目指していて、そのために、財政的・社会的なことに相談に乗ってくれるソーシャルワーカーさんとかがいて(例えば財政的に貧困だったらどうするかということを一生懸命、一緒に考えてその為の方策を出来うる限り活用するお手伝いをしてくれます)、精神病院というのは、精神疾患を治すだけではなく、外に出て、社会復帰を目指すというのが大切なことなんですね。


社会との関わりを作っていく、それが、外部に出て働く労働なわけで、、精神疾患は長引くことが多いですが、それでも薬と療養と周囲の配慮があれば、デイケアとかにでて、病気と付き合いながらも、外部にでて働けるようになる訳ですね。そういう、精神疾患の人々を囲い込むのではなく、対人訓練(デイケアは対人訓練としても機能します)とかして、なるべく外部に向けた社会との絆を作るということが、精神病院の大きな役割なんですね。


精神疾患にとって、よくないのは、孤独、人との絆が絶たれてしまうことで、それを、繋げていくことが治療としてとても大切


なかなか治らないケースで一番多いのは、患者さんが途中で勝手に薬の服用を止めてしまったり、勝手に自己判断で通院を辞めてしまったりするような場合が多いみたいです。

とても示唆に富んだ内容ですので、長めですが引用させていただきました。


心の病気は、薬を出しておしまいではなく、生活を含めてサポートすることが治療なんですね。


そして、社会との繋がりを作っていくことがとても大切。


自分の判断で薬の服用を止めることは要注意ですね。


ところで、サバイブSNSでいただいたコメントで、とても心に残ったものがあったので、転載させていただきます。

「他人に迷惑を掛けない社会をどう作るか」という僕の日記にいただいたコメントです。

「誰も困らない」っていうのは難しい気がするですねぇ。

だからケアワーカーが職業として困るのに専念してるんですよ。困る専門家。


というのも、世の中には色々な事情から「相手を困らせる関係」しか築けないっていう人がある程度居るようです。

だから「誰も困らない社会」っていうのは、そういう人と関係性を持たない社会のことですね。


例えばそういう「コマッタさん」の面倒を1万人で見ましょうと決まりを作って負担を分散すれば、実感としては1万人のうち誰も困らない。

でもそこまで分散しちゃうと、もう人間としての固有な関係性は成立困難でしょう。

言い換えると「誰もコマッタさんのために困ってくれない」という状態。寂しいですね。

確かに相手に負担を掛けるのは心苦しいけれど、負担になるってことは、それだけ相手が自分にコミットしてくれてるってことですから。


やっぱりコマッタさんに対して困るメンバーが社会には必要だろうと思います。

「困る人が居ない方が良い」とは必ずしも言えません。

人は誰でも老いますし、病気にもなりますし、収入が途絶えたりします。


そう言うときに「コマッタさん」になることは、これはしょうがないことです。


それに対して、一緒に「困る」専門家がいたり、「困る」負担を分担させたりするのが社会なのだなぁ、と思いました。