内面は作るもの
をざっと読んだので、感想。
「内面」は、二つの要素からできあがる。
- その人の歴史。もっと言えば、失敗の歴史。個性的とは個性的な失敗のことだ。
- その人の物理的なあり方。内分泌の具合や、外見、四肢の状態など。
で、この二つを踏まえて言えるのは、ある程度まで内面はいくらでも取り替え可能だということ。
記憶を入れ替え、内分泌のあり方を変え、義肢を付け、パーツを組み替えていけば人は容易に変わる。
「人格改造マニュアル」で書かれているテクニック−薬物、洗脳は、そういうことだ。
素朴に、「人には内面があって、それを表現することができる」と思うのは、かなりナンセンスな考え方だろうと思うし、自分の中に何かの「本質」があると思うのも間違っている。
「本質」は現象そのものだ。
貨幣の「本質」は何か。それが金属だったり紙だったりすることではない。それが「交換される」ことが本質だ。交換されることで、金属は「貨幣」という商品になる(資本論はここがわかればそれほど難しくない)。
つまり、「運動」が介在している。
「内面」の本質は、「どこかにある本当の自分」などではなく、他人との関係において−つまり運動によって−表れたものだ。
その内面を、自分で、手軽に作り替えることが可能である、という点で、この本は画期的だったのだろうと思う。いまでも、そうだろうと思った。
でも、薬物でも洗脳でもなく、自分自身が社会に適応していくための力を付けるための方法がある。
それが、次回述べる「文章力」である。