reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

「ドキュメント 戦争広告代理店」

現在の戦争では武力行使と並行して情報戦が、それも古いタイプの「国民を洗脳する」というものではなく、外堀を埋めて民意を凝縮し感情を爆発させる、そのような情報戦が、日常的に行われている。


このルポでは、ユーゴスラビア紛争でのボスニア・ヘルツェゴヴィナセルビアの間で、世論誘導の綱引きのために、当事者たちがどのように動き、それらの行動によって、水面に石を投げ込んだように、情報の波紋が広がり打ち消し合い増幅していくのかを、つぶさに描いている。


民族浄化エスニック・クレンジング)」という言葉の「流行り方」も描かれ、この言葉が紛争でのPR活動を通して国際的な共通語として定着していった過程も描かれている。

というより、「自明」と思われている概念は全て、そのような偶然と故意の思いもよらぬ混合から生まれ、あたかもはじめからあったかのように感じられ、後々まで残っていくものだ。


文庫ではなく単行本の方を読んだが、300ページ、一気。目が痛い。


「PR会社は恐ろしい」というだけではなく、そのように働きかければ、「世論」という怪物は凄まじい勢いで方向を変え、人々を飲み込んでいくのだな、と、改めて思った。


双方が、「相手は民間人を虐殺している」と訴えるが、たとえば迫撃砲を病院の近くに設置して、意図的に「誤爆」を誘う、というやり方を、実は双方が取っていた。

そのようにして、「国際社会」に「訴える」やり方は、国連常任理事国が巨大な軍事力を持ち、それらの国から見れば紛争当事国の軍事力など塵芥であることを前提にしている。そのことを当事者たちも理解しているから、そういった人情に訴える手段を取る。


一定の世論に興味を持たれなければ、「無かったこと」「存在しないこと」となってしまう現状では、いかにセンセーショナルに世論の耳目を集めるかは勝敗の帰趨を決するものだろう。


ここからもう15年が経って、PR会社は増える一方だ。

「1980年には、PR会社の人員とジャーナリストの数がほぼ同等だった。2008年になると、その割合がおよそ4対1となった。」

しかし、もうぐっだぐだにいじられてしまった自分たちの頭は、ものごとをまともに見られるのだろうか。