追記
と言うことを書くと怒る人がいて、それが「古い」ってことだよ、なんて誰も言わないで黙り込んで、怒る声が虚空にこだまして、ウヨとサヨはそれぞれの動員部隊を思想信条関係なく動員かけて、多くの「当事者」達は「君たちの立ち上がりが悪いからだ」なんて声に外国語を聞いたかのように耳をふさぐことすらなくその場を行き過ぎて行くんだと思いますけどね。
声を上げる人−−>声を受け止める「インテリ」 壁 その他の人たち
という構造があるんだよね。
なぜ、表面上は攻撃的でない「反論」にわたしたちはいらだつのか?
ときどき、自分が書いた文章に対する反応に、いらだちを感じるときがある。
具体的にどこか、と言われるとわからないのだけれども、漠然と、不安や、いらだちに駆られる、そういう文章というものがある。
それはいったいどういう文章なのだろうか?
それは、「批判」する文章ではなく、「批難」する文章である。
続きを読む「雇用の重要性を説いた」ですって
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080428-00000001-jct-soci
永守社長の発言の主旨として、「雇用の維持が最重要」という同社の姿勢を伝えたかった
連合の高木会長まで出張ってこの発言を取り上げたため、社のサイトに文章を上げたとのこと。
あんまり弁明になっていないと思いますけど。
続きを読む「抗議の言説」が古いのだ
昨日の議論を見る限り、年寄りはみな「自由な社会で、一定の能力がある人が報われ、格差があるのは当然」みたいなことばっか言ってる。(Bグループの大半は50代以上のおじさんだ。)一方でAグループの人はおおむね30代で、規制が必要、社会保障を充実させろ、という。
本来、強者は自由主義を望み、弱者は規制・福祉社会を望む。
そう、日本ではなぜか年寄りが強者で、若者が弱者なの。強者の年寄りが自由を支持し、弱者の若者が規制を望む。
絶望的に、絶望的なほどに、社会が「年配者に有利な社会」を作り上げてきたから、だよね。日本では。(欧州でも米国でも社会はこうなってはいない。これは日本独特です。)
本来的には圧倒的な強者である若者があきらめざるを得ないほどに、巧妙で、圧倒的に強固で、絶望的なほどに盤石な、「年配者が有利な仕組み」をこの国は作り上げてしまった。
この「仕組み」は二通りあって、
- 行政や企業が既得権擁護をしている
- そもそも、このような事態における抗議の仕方が他にない
ということだと思います。
前者については本文でも触れられていますし、現実的な構造については様々な解析がされているでしょう。
ここでは触れません。
問題なのは後者で、要するに、このような「弱者の論理」でしか抗議の言説を我々が持たない、と言うことだと思います。
すでに問題は新しくなっているのに、言説は旧態依然としたままで、だから「救い」を求める先も「国家」や「制度」に求める。
この言説は、これまでの左翼言説とほとんど変わりません。
で、問題なのは、こうやってテレビに出演している人の言説がとても古いままなので、実際に若者と呼ばれる人たちが抱いているもやもやを言葉に出来る人がいないこと。
この番組は観ていないのですが、こうやってテレビに出てまとまった発言を出来る人って、既得権者から見た「若者」に過ぎないんですよね。
続きを読む自殺に「美しい理由」はあるのか?
を読んで、思ったこと。
- 平成18年中における自殺の概要資料(pdfファイル:http://www.npa.go.jp/toukei/chiiki8/20070607.pdf)(警察庁)
をみると、見も蓋もない理由が多いです。
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