reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

病院にて

 病院の待合いは何であんなにゴミゴミとしているのだろうか。2時間も待たせるのなら、あのような不衛生でストレスのたまる状況に病人を置いておくのは問題がないだろうか。
 それでも、何も出来ない変わりに普段読めない本を読むことが出来る。ただしそれは、待合いにテレビが無ければの話だ。いったい何で待合いにテレビが必要なのだろうか?テレビを見ないと落ち着かないのか。それが庶民か。耳栓をして防御したいが、それでは私の順番を呼ぶ声が聞こえなくなる。かまわず本を読もうとしても、テレビからは絶え間なく笑い・無き・怒り・あきれ・叫ぶ声と、切れ切れのセンセーショナルな・淫靡な・挑発的なフレーズが垂れ流され鼓膜を通して脳を揺らす。激しい刺激を呼び起こして集中力がとぎさせる。これだからワイドショーは嫌いだ。内容のなさを言葉と反応の刺激でカバーしようとする。くそっ、くそっ。僕はあきらめて本を閉じた。

 「主人在宅ストレス症候群」
 耳慣れない「病名」。ちょうどその特集が始まるところだった。
 定年退職・失業などにより、夫が会社に行かなくなり、一日中一緒にいる時間が増えた事による現象。テレビでは壮年と思えるカップルの一日を追っていたが、とにかく夫が落ち着かない。妻はそれまでの日常を繰り返す。掃除をし、洗濯をし、買い物に出かける。その間中、夫は妻について回る。買い物に出ればすぐに携帯を取り出して、「遅い!」「帰ってこい!」と呼びつける。帰ってきて食事が始まれば、「いったい何をやっていたんだ」という詰問が始まり、黙る妻に夫が興奮する。最悪の時間。その後も、ことある事に夫は妻に悪罵を投げつけ、ごろごろし、行き場もなく一日中家にいて、妻は黙々と家事をこなしていた。その姿はわがままな子どもそのものだった。
 夫が会社にいて仕事を持っているが故に自己を支えられていたという事情、それが崩れ、夫婦という密室の中で「成熟しそこなった」夫婦が自我の共依存的暴走を引き起こす。要するに悲惨だ。地獄だ。

 しかしこれが、低資産者(所得・文化資本の少ない者)にのみ起きているという事実と、このワイドショーが、実際にはその症状の治療に役立っているという皮肉に気づく。この「症候群」が起きている家庭は山ほどあるのであろう。非常に甘い基準の失業率がこれだけ高いのだから、その名も無き「症候群」たちはこの番組にシンパシーを感じ、一人でないと思い、少しだけ気分を軽くする。何故自分がそこから抜け出すことが出来ないかなど思いもしないで、テレビに釘付けになる。
 ワイドショーを作り、「〜症候群」という言葉を作っている階層の人間は中〜高資産者である。その財貨は、低資産者が自身の時間を売り渡して作り出した富がもとになっている。時間を売り渡し、低資産者は自らの人間性を高めることもなく、年を取っていく。そのこと、まさにそのことが悲惨の根源なのに。

 「低俗」なワイドショーは、「庶民」の支持を受けながら庶民自らそれを受け入れ、「いやされていく」。自らの問題には向かい合うことをせず向かい合うことが出来ず向かい合う術を持たず、わずかな賃金を再度その「治療者たち」に再度搾取される。
 問題を解決してくれる者が問題を生み出している根本原因なのだ。マッチポンプ。ばかばかしい喜劇。

 僕は呼ばれ、診察室に入った。「気分はいかがですか」先生が聞く。「体調が悪いのです。頭が痛くて、何もやる気が起きないのです」「ならこの薬を処方しましょう」