「高度成長期」は、もう来ない
日本の「高度成長期」とは、それ以前にはなかった工業化手法である「ビックプッシュ型工業化」によるものであり、日本はすでに先進国に追いついたのだから、これ以上の高度発展はないのである。
タネ本
第二次世界大戦までの日本経済
日本の1870年から1940年までの1人あたりGDPは、737ドルから2874ドルと成長した*1。これは飛躍であった。
しかし、一人あたりの所得の成長率は1.5%をわずかに上回るものであり、当時のアメリカ合衆国の成長率と変わらない。
そして、そのころアメリカは、一人あたりGNPは6838ドルと、イギリスの一人あたりGNP6856ドルに続く、経済大国であった。
だから、単純計算すれば、1950年以降も同じ成長率であったなら、アメリカ合衆国に追いつくには327年を要する。
貧しい国が貧しいままで在り続ける理由
一人あたりGNPが低い、つまり相対的な賃金が安い国では、機械化が進まない。
なぜなら、賃金が安いということは、機械が高い、ということ。
機械の購入や開発、工場の建設に資本を投下するより、同じ資本で労働者を雇ったほうがずっと利益が上がるからだ。
一人あたりGNP、つまり賃金が低い国は、低い賃金のままで在り続ける。
例をあげよう。
どの国の歴史でも、産業化はまず綿工業から始まった。
フランス革命前夜、当時最新だった「ジェニー紡績機」の設置数は、イギリス2万、フランス900,インドは0だったそうだ。
イギリスは他国に比べ高賃金であったため*2、機械化が賃金の節約となり、結果として莫大な資本の利益となった。
対して、フランスやインドは他国より低賃金で、紡績機の発明のために多くの時間とお金を投資しても、そこで利益が生まれる見込みは全くなかった。
それゆえ、このような対照的な結果が生まれた。
今日でも、発展途上国で最も成功している産業は被覆産業だが、その主体は「ミシン」である。
足踏み式ミシンは1850年代、電気ミシンは1890年代に作られた。ともに19世紀の技術である。
発展途上国は、安い労働力と古い機械の組み合わせで低コストを実現しているが、それを支えているのは19世紀の古めかしい技術なのだ。
機械への投資は行われず、他国より「相対的に生産力が低い」ために、賃金は相対的に低いままで留め置かれる。
機械への投資は、労働力の価格、つまり賃金が機械化よりも高ければ起きる。
しかし相対的に賃金が安ければ、低い技術で十分儲かるから、機械化、つまり生産力向上への投資のモチベーションは上がらない
機械化が進歩するためには、十分な額と期間の投資が必要なのだ。
だから、他国より低賃金の国は、機械化が進まず、低賃金でありつづけ、「貧しい国」であり続ける。
これが、十分に教育が行き届き、食料生産も十分で、輸入品に関税をかける国力を持っているにもかかわらず、「貧しい国が貧しい国のままでいる理由」のひとつだ。
日本を始めとするアジア圏の国々は「ビックプッシュ型」工業化をやり遂げた
日本も、そのままゆるやかな発展を続ければ、現在も「貧しい国」のままだったろう。
しかし、それを第二次世界大戦後、一変させたのが「ビックプッシュ型工業化」であった。
「ビックプッシュ型工業化」とは、いわば先進国の工業化の早回しである。
貧しい国が二世代(60年)で先進国に追いつくためには、一人あたりGDPが年4.3%で成長する場合のみである。……方法は、先進国経済のすべての要素を同時に準備することによるしかない。つまり、鉄工所、発電所、自動車工場、都市等を同時に建設するということである。これがビッグプッシュ型工業化である。
……製鉄所は、その圧延鋼を使用する自動車工場が出来る前に準備されている必要がある。逆に自動車工場は、工場で加工する鉄が利用できるようになる前に建設されていなければならない。それどころか、自動車に対する有効需要ができる前に、工場自体も建設されなければならないのである。あらゆる投資は、補完的な諸投資が実現するだろうという信念にもとづいてなされる。……こうして、20世紀に貧困から抜け出した大国(日本、台湾、韓国、あるいはソ連)は、計画の手段は様々だったが、どうにかビッグプッシュ型工業化をやり遂げたのである。(「なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか」p.177-178)
もう少し詳しく見ていこう。
戦後の日本の工業化は計画化を必要としたが、その中心となった官庁は、通商産業省(MITI)だった。……1950年代の通産省の目標は、すべての鉄鋼が効率的な規模の製鉄所で生産されるように、日本の産業を再編することだった。通産省の力は、銀行システムの支配と、コークス用の石炭と鉄鉱石を輸入するために必要な外貨を配分する権限に由来していた。1960年代までに、近代化された大規模な製鉄所建設により生産能力は2200万トンになった。……これらの製鉄を誰が買うことになっていたのだろうか。造船業、自動車産業、機械工業、建設業が主な国内の購入者だった。これらの産業は、鉄鋼業と歩調を合わせて拡大しなければならなかった。計画化を要する第二の問題とは、このような結果を確実に保証することだった。……日本は、高度に資本集約的な方法*3へ移行することによって、世界で最も効率的な産業、すなわち、その製品に競争的な価格をつけながら、なお高賃金を払うことができる産業を創りだした。計画化が必要な第三の問題は、これらの耐久消費財が購入できるように日本の消費者の需要拡大を保証することだった。……1960〜1970年代には、産業の大々的な拡張が余剰労働力をなくし、零細企業部門の賃金は急速に上昇した……雇用拡大による所得上昇は、日本人が冷蔵庫と自動車を買うようになるにつれて、ライフスタイルの革命を引き起こした。この冷蔵庫と自動車は、通産省の指導で拡大された鉄鋼供給によって製造されたものだった。……日本の消費者支出の上昇は、企業の生産能力の拡張と賃上げの決定を正当化することとなった。その結果、資本集約的な技術は、事前にはそうでなかったとしても、事後的には、適切なものになった。(同書 p.184-187)
高消費を予測しての大量生産と、高消費を実現するための高賃金。
ビックプッシュ型工業化という「命がけの跳躍」は、ぴたりと着地を決めた。
一人あたり所得は、1950年から1990年にかけて年5.9%で成長し、1953年から1973年のピーク時には8%で成長した。1990年までには西ヨーロッパ諸国並みの生活水準を実現していた。(同書 p.183)
1990年までに、先進国との3つの格差(一人あたり資本、一人当たり教育費、一人あたり生産性)を埋めた。その成功とともに、1990年代以降日本は、他の先進国と同様の成長率となった。(同書 p.188)
日本は大きく成功し、他の先進国に追いついた。それとともに、経済成長率も先進国並み、となった。
先進国は、世界の技術フロンティアが拡大するのと同じ速さでしか成長できない。つまり、毎年1.2%の成長しかできないということである。1990年以降の成長の低下は避けられないものだった。(同書 p.188)
「高度成長期」以降
イギリスで起きた高成長に各国が追いつく過程ーそれが産業革命後の世界の歩みのようだ。
人類の生産性の大きな跳躍は、ようやく中国に達して世界を一巡した(つぎにインドがあるが)。
だからもはや「追いつく目標」が無くなった。
つまり、これ以上どうすれば世界は高成長するのかは、誰にもわからない、ということのようだ。