reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

「自分探し」は、終わらない

404 Blog Not Found:探すな決めろ - 書評 - 自分探しが止まらない

「何でも好きなものについて、好きなだけ考えよ。しかし服従せよ!
(「啓蒙とは何か」イマヌエル・カント


「自分探し」は、理論上、永遠に終わりませんよ。
現在の豊かな世の中では、人はどんな夢でも抱けます。でも、なれる自分はその可能性を限定していくことです。この、無限の可能性と、有限な現実性の狭間に、「ほんとうの自分」はあるのですから。手を伸ばせばそれだけ「ほんとうの自分」はどんどん遠ざかります。


「自分探し」は、誰でもやっていることですし、それに終わりはありません。


それに、「自分探し」はそれほど悪いものでもないと思います。


「自分探し」が問題なのは、「生きるためには衣食住がまず必要である」という身も蓋もない事実に立脚しています。


42歳までに知ることになる、22歳の自分に教えてあげたい12のこと:らばQ
今私が22歳の自分に何か言うとすれば、「とりあえず何をしていいのかわからなければ、公務員になるか大企業に入っとけ」*1です、身も蓋もないですが。
公務員は当然として、大企業の方が中小零細企業より福利厚生の面で勝っていますし、労働組合も強いので有休も取れます。残業も比較すれば少ない。燃え尽きてしまったときに病気休暇も取れます。
働いて得られた余暇の時間で、思いっきり「自分探し」をすればいいのです。


しかし、求職時期が就職氷河期で、フリーターにならざるを得なかった人などを「自分探しに夢中になっているからこんなことになったんだ」と責めるのは、もういい加減にしてもらえないでしょうか。
派遣労働は衆議院予算委員会でも問題になったように、ひどい労働実態で働かされています。彼らの実態から目をそらすために、「自分探し」という言葉を持ち出さないで欲しい。
ニート」などと造語を作って、さらに道徳的にギリギリと縛り付けようとするのも、やたらと自己責任を強調する今の世の中の「病」だと思います。
病を負っているのは、「平等なスタート地点」を設定できない社会(や政府)を容認し、それによって被害を受けたものにことさら自己責任を強調する「常識」の方ではないでしょうか?


また、他の先進国の若者は、よく長期の旅行(一月から一年以上まで)をしていますが、そのことにいちいち「自分探し」などという言葉は付けませんし、そのことで責める大人もいません。
帰ってきた後の進路があるからです。
日本も、そういった余裕のある文化を涵養すべきだと思います。

「いっさいを疑い、世界の存在そのものに疑問を投じるコギトの裏面は、デカルト的な『暫定的道徳』、すなわち哲学的な旅の日常生活を生き抜くためにデカルトが打ち立てた一連の格率である。まさにその最初の格率は、自分が生まれた国の慣習と法を、その権威に疑問を抱くことなく受け入れ、従うことの必要性を強調している。」
(「イデオロギーの崇高な対象」スラヴォイ・ジジェク

「啓蒙された聴衆に語りかける、理論的思索の自立した主体として、我々は自由に考えることができるし、あらゆる権威に疑問を投じることができるが、社会的『機械』の一部として、つまり主体(サブジェクト)ではなく臣民(サブジェクト)として、われわれは目上の命令に無条件に従わなければならない、ということだ。この亀裂は啓蒙の企図そのものに最初から含まれている。」
(前著)

「重要なことは、このように、あたえられた経験的で『パトローギッシュ』(カント)な慣習や規則を受け入れることは、一種の前啓蒙的な遺物−伝統的な権威主義的態度の遺物−ではなく、反対に、啓蒙それ自体の必然的裏面だということである。それがどんなに馬鹿げていようと、社会生活の慣習と規則を受け入れる、すなわち『法は法である』という事実を受け入れることによって、われわれは社会生活の拘束から内的に解放され、自由な理論的反省への道が開けるのである。」
(前著)

*1:もちろん、ブラック企業はなるたけ避けてね