reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

「ヤンキー」になれなかった者たち

「体育会系」とかヤンキーとか、オタクとかサブカルとか、そういうものにはなれず、なにものにもになれなかった子たちについて、ときどき思い出してあげてください。


以下、90年代初頭のペルーの最貧層で日本人精神科医師が見た患者の状況だが、あまりにクリティカルなので、少し長いが該当部分を引用する。


まるで日本のロードサイドの状況を書いているようだ。

マチスタになれなかった者達


カルロスは中学五年生の18歳。中肉中背。彫りが深く、目鼻立ちの整った顔をしている。硬い髪を長めに伸ばしている。顔にかかった前髪のせいか暗い印象をうける。声の調子が静かで口数も少ない。自信なげに語り、時折ため息をつく。

カルロスの父は48歳の人夫。母は36歳の主婦。15歳と10歳になる二人の弟がいる。……この家族5人の他、父の従弟一家6人が同居している。

カルロスは幼い頃体が弱く、中耳炎・皮膚炎・寄生虫病など次々と患った。8歳の時には台所で悪戯をしていて煮えたぎった油をかぶり、前胸部に火傷を負って二ヶ月ばかり入院したことがある。

幼い頃は、今よりも更に内気で引っ込み思案だった。恥ずかしがって人前に出ようとしなかったので、チカ(女の子)とからかわれることが多かった。父はそんなカルロスを邪険にし、そこにいるという理由だけでよく殴られた。しかしカルロスは泣かなかった。悲しかったが、泣くのは男のすることではないと思っていた。父には冷たくされても、父のことは尊敬していた。男らしい男だったし、長年同じ工場に勤めていて、常雇いの身分をもっていたから。

母は何でもカルロスに話してくれた。「お前が私の柱だよ」というのが口癖だった。父から毎週幾らの金を貰っているかも母から聞かされており、生活費の切り詰めの相談にも乗った。母は父との出会いのことも話してくれた。二人は工場で知り合ったのだ。母が妊娠したとき、父は「ガキなんか真っ平」といい、母の腹を殴ったり各種の液を飲ませたりして流産させようとした。しかし、母の親戚がやって来て、父を告発すると脅し、産院で結婚式を挙げさせたのだ。……こうして生まれたのがカルロスだった。
「私は、生まれる前から父に嫌われていたのです。父は大きく恐ろしかったのですが、私は父についてもっと知りたいと思っていました。酒を飲んで機嫌の良い時に少しずつ父の生い立ちを聞いたものです」

父はしばしば帰って来なかった。近所の人の話では女がいるとのことだった。父が不在の時は弟たちは平然と母に歯向かった。すると母はカルロスに仕置きをするように頼み、カルロスは弟達を殴った。父のいない夜はカルロスは「家長の気分を味わったのです」。もっとも夜眠れぬことが多く、眠ったと思うと失禁した。繰り返し繰り返し自動車に轢かれる夢を見た。

学校には粗暴な子が多く、先生達も神経質な人ばかりで馴染めなかったが、放課後も友人と遊ばずに家に籠っていることが多かったので勉強はしていた。そのおかげで中学2年までは落第したことがない。ただ、「勉強してもどうせ人生の役には立たないと思っていました」。

中学3年になった頃から、少し活発になり悪童仲間に入って、盗み・酒・シンナーなどに手を出した。「酒もシンナーも世の中の嫌なことが忘れられて、とてもよかったのです」しかし、仲間うちではいつも手下役でつまらなかったし、「盗みをやっても金持ちになれるわけじゃない」という気持ちが強かった。この年、1年留年した。留年しても強いショックはなかったが、それを機会に悪童仲間からは離れた。小さい頃から時折頭をかすめていた死んでしまいたいという気持ちが、この頃さらに強まった。そして人の声の幻聴を体験するようになったが、とりたてて治療も受けないまま薄れてゆき、全く消えてしまった。

幻聴がなくなった頃から、カルロスは、「今のままでは自分が駄目になる」と思うようになった。アプラ党の青年組織に加わり、政治の本を読むようになった。学生会のリーダーにもなり、先生達のストライキに便乗して学生ストを指導し逮捕された。「警官に射殺されるのではないかと思っていました。怖くはなかったです。むしろ、これですべてが終わるという晴々とした気持ちでした。アプラの言うように改革で世の中が良くなるとは信じていませんでした。出来ればペルーごと自分を吹き飛ばしたいと思っていました。」結局は、4時間後、党の幹部が手を廻してくれて、釈放されたのだった。

それから1年が経った。カルロスはなんとか大学へ進んで法律と経済を修めようと思っている。目標を持っていても大した価値がないとは思うが、弟達二人のように、本も読まず悪童仲間に入ってその日暮らしをしているよりはましだ。弟達にはいつもそういう生活態度ではいけないと注意している。先日、たまたま、父が酔いつぶれて眠っている時に、弟達が反抗して言うことを聞かないので殴ったところ、意外にも、傍らにいた母親に「お前が弟達を指導する筋合ではない」といわれ、思わず母に暴言を吐いてしまった。それ以来、夜寝つけない。中学を卒業したら家から出て行こうと思う。「出てゆくのが遅すぎるのですけれどね。」

カルロスは将来政治家になろうかと漠然と考えている。「ペルーが良くなればそれに越したことはありませんが、わたしはアプラの仲間のようには希望を持っていません。内乱が起きて、私も死ぬでしょう。それならそれでよいのです。私は自分の未来を信じていません。とにかく非行から足を洗えたということが、私にとって一番価値のあることです。私に残されているのは男らしく死ぬということだけでしょう


(「貧困の精神病理−ペルー社会とマチスタ」大平健著 p94-98 ※強調引用者)


彼の父親−粗暴で身勝手でことさら男らしさを全面に出そうとする「マチスタ(ペルー社会の)」−と、彼の母親−極度に依存性が高く不感症的*1でヒステリックな「聖母(ペルー社会の)」−という性格類型については、日本社会のヤンキー男子ヤンキー女子との類似性が高く、興味深いところではあるのでいつか取り上げたい。


重要なのは、カルロスの周りにはマチスタと聖母しかおらず、自分はその何者にもなれないことを骨の髄までわかっていたけれど、他の選択肢が見いだせず自壊していったこと。


ヤンキー的な地域というのは確かにあるけれど、そこで馴染めず、他のアイデンティティを見いだせない子もいる。


あなたもそうじゃなかったのか?


カルロスはどんなおとなになったのだろう?

彼は今も、生きることに虚しさばかり抱いているのだろうか?

*1:性的に、より、もっと広く、あらゆる物事に対して「耐える」ことで乗り切ろうとする