reponの忘備録

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どうしてベーシックインカムと生活保護を対立させようとするのか?

野崎泰伸「生活保護とベーシック・インカム」

ベーシックインカム生活保護を対立させていますが、これはどうでしょうか?


論文では、スティグマ(傷)という言葉を使っていますが、これは何か。

生活保護を受ける際、申請者に現在どのくらい資産があり、どのくらい保護が必要なのかを行政がチェックします。これを「資力調査(ミーンズテスト)」といいます。

このとき、行政から「なぜ働かないのか」「なぜ資産がないのか」「なぜ生活保護を受ける必要があるのか」と根掘り葉掘り聞かれることで、申請者が心の傷を負ってしまいます。

これをスティグマ、と言います。


生活保護予算が削られ、闇の北九州方式のように申請者に嫌がらせをして窓口で追い返す「水際作戦」によって、申請者は絶望感に襲われます。

仮に受給できることになったとしても、受給のための要件として、意味もなく遠くの職場に行かされたりそういう嫌がらせを受けることがあり、それで受給者は肉体的精神的な傷を負います。


そういったことが「スティグマ」なのですが、冒頭に上げた論文では、スティグマの問題は、ひいては資力調査の問題は、BIでも生活保護でも変わらない、と言っており、そして「スティグマ」を感じないような社会にしていくことが大切だ、と言っています。


そのこと自体はその通りと思いますが、こういう共同幻想というものは、ある日それについて考えるのをやめたからと言ってなくなるものではありません。


確かに、日本は「会社による福祉」と「家族による扶養」が、ヨーロッパの国家による福祉を肩代わりしていた部分があります。

また、公共工事などの税金ばらまきによって迂回的に再配分する、と言うことをしていました。

ムダな公共工事であっても、働いて得た賃金ですから、それが福祉的なものであるとは認識できず、「俺たちは働いて金をもらったんだ」と考えがちです。

そんな背景があり、日本はヨーロッパに比べ、生活保護を受けるのに独特の「恥」を感じてしまいます。

働けば、がんばれば何とかなるはずなのに、生活保護を受けるなんて……という考え方です。

これはもう、「素朴な庶民たち」の心根に深く根付いているものですから、そんなに簡単に変えられません。


それに、もし思うだけで変えられるのなら、資力調査そのものでスティグマがなくなり、BIだろうが生活保護だろうがあまり関係なくなります。


どうして、BIと生活保護を対立させようとするのでしょう?


問題は、それらを対立させることではなく、対比させ、現状の制度の問題点を浮き彫りにしていくことではないでしょうか?

そして、よりよい制度を作っていくことではないでしょうか?