「袋小路」
※グロテスクなシーンがありますのでご注意ください。
自分の指が吹き飛ぶ夢を見た翌日、職場の同僚で気になるあの娘が、プレスに挟まれて指を飛ばした。
その衝撃で狂気に覚醒したkは、行きずりの殺人を繰り返すことになる。
顔を潰されて発見された死体を見て、識者は「顔をわからないようにして、身元を不明にさせようと意図している。これは顔見知りの犯行だ」とコメントした。
警察もその方向で動いているらしい。
捕まるわけにはいかない。まだ足りない。まだまだ足りない。
指を飛ばしたあの子は、その後姿を見ない。派遣だったから、体よく追い出されたのだろう、と聞く。
職場の労組はなにもしない。面倒な役回りの割り振りはするくせに。
kはある日、労組から学習会に参加するように言われる。動員がかけられているらしい。
その先で、衝撃的な事実を木村は知る。
派遣の実情を。
そして派遣を食い散らかしている成金ブルジョアたちがいることを。
行きずりの殺人。
それに快楽を見いだしていたkは、殺意の矛先を成金ブルジョアに向けることを心に誓う。
ある日、職場で同じラインの若者が、頭からプレスに挟まれて死んだ。しばらく生きていて、絶叫が響き渡った。あたりが血の海に染まったとき、木村のどす黒い欲望は牙をむいた。
よく職制にこづき回されていた、その若者のかたきを取ろうと思ったのかどうかは定かではない。
木村は、ロッカーから取り出したハンマーで職制の頭をかち割り、ピンクと灰色の脳漿をプレス機にぶちまけた。
ざまあみろ!木村は叫ぶ。
もう後戻りは出来ない。
雄叫びを上げ、自身の内部からせり上がってくる巨大な衝動に身をゆだね、逃げる工場長も、労組幹部も殴り殺し、かねてから目をつけていた親会社に乗り込む。
社員を続けざまにしとめ、柔道二段のニヤニヤ笑いを繰り返す社長と対決し、懐の匕首で肝臓を貫きしとめた木村。
獣の雄叫びを上げ、警官隊の銃撃で深手を負ったまま、都会の闇に消えた……
目が覚めたら泣いていた。
大丈夫か、とドアの向こうで母親が言った。
叫び声に飛び起きたらしい。
1kの部屋だ。台所で寝る俺の声は良く通ったのだろう。
母親の問いには答えず、自分の指を確かめた。
欠けてない。ついている!
ほっと胸をなで下ろす。
……でも、あの子の指は?指が飛んで、あの子が事務所に消えて、10分も経たないうちに工場は運転をはじめ、プレス機は相変わらず安全装置を外したまま運転を再開し、自分はもとの無表情に戻って黙々と作業をこなしていた。そして、後は白昼夢の中……
……勝たなきゃ……勝ち組にならなきゃ、ダメなんだ
……涙で頬をぬらし、握った拳を振るわせながら、俺はつぶやいた。
明日も、明後日も、あの鼓膜を破壊するようなプレスの騒音のなかで、白昼夢を見ながら仕事を続けるであろう無力な自分を呪いながら、俺はうめいた。
勝たなきゃ、勝たなきゃ、と。
何度も何度も、繰り返した。
少し落ち着いた。
母親に、何でもないよ、と声を掛けて、俺は暗闇に横たわった。
明日のプレスで、居眠りをして班長から尻をけりつけられないように、そして最悪、本当に指を失わないために、眠った。
無理にでも、気持ちを押し殺して、眠った。
押し殺した気持ちは何?
人生の無意味さを集約したその問いへの解答を、当然俺は無意識に抑圧して、ぐしゃぐしゃとした気分のまま、眠るしかなかった。
明日動けるように、眠って体力を取り戻すしかなかった。
それ以外に何が出来るんだ?えぇ?
俺はすすり泣いた。
汚らしい枕に顔を埋めて、母親に聞き取られないように声を殺して泣いた。
泣けるうちはまだ大丈夫だ。
声さえ出なくなったら、その時は、最後の時だ。
どうかその時に、自分に全てを破壊するだけの力がわき出ますように。そう、祈るしかなかった。
何を?破壊する対象も不明確なまま、とにもかくにも、祈った。
やがてことん、と俺は眠った。