アイデンティティって、なんだ?
昔からわからないのです。
「アイデンティティ」って、「自己同一性」という訳語が当てられていますが、一体どういうことなんでしょう?
アイデンティティが「無い」と不安になるそうです。
また、「アイデンティティ」が不安定だと、「良くない」ので「確立」する必要がある、と言います。
で、「アイデンティティ」って、「自分が何者か」ということですから、結局それって「キャラ化」ってことなんじゃないですかね?
自分はこんなキャラだ、と周りに認められることで、自分自身が何者か知る、ということ。
とすると、今の若い人たちが過剰に「キャラ」を作るのは、アイデンティティを過剰に求めている、ということなんでしょうかねぇ。
アイデンティティというのが、「自分を映す鏡」としての他者だとすると、一神教の世界と、日本のように「世間」がその代替である世界では、ずいぶん違いますよね。
一神教の世界では、基本的にアイデンティティを保証してくれるものは「神」です。
その点で、揺らぎはない。
一度神から認められれば、神の認識に変化はないのだから、アイデンティティは確保される。
それに対して、日本のような「世間」にアイデンティティを求めると、うつろいやすい「世間」に合わせて必死に「キャラを作る」ということになる。
それは結構キツイですよね。
アイデンティティなり、キャラなりから一度「逃げる」ことが必要なのかも知れません。
てなことを、先日の「文化系トークラジオLife」のイベントでの話を聞いて、思いました。