reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

「暇」の使い方

 なにかものごとを成し遂げるには、「時間」が必要だ。

 でも、おなじ「時間」を持っていても、それをもてあましてしまう人と、有効に活用できる人がいる。

 その違いはどこにあるのだろう?


 なにかものごとを成し遂げるとき、「時間」は、準備→実行→検証、と区分されていることが必要だ。

 ものごとを自律的に行える人は、この区分ができる。

 だから、持ち時間でなにができるのかを知っている。

 そして持ち時間で「準備」をはじめる。


 しかし、多くの人は、いきなり実行からはじめたり、実行できそうにないと準備せずにあきらめてしまう。

 実際の成果に結びつくまで時間がかかると、「失敗」と判断して簡単にあきらめてしまう。

 自分もそうだ。

 時間があってももてあましてしまう。

 そして、いたずらに時間を使い、使ってしまった時間を見て自分への信頼をまた下げる。


 また、手軽に成果が出るような行動を取る。

 2chに書き込みをして「論争」したり、ニコ動を見たり、手軽に気持ちよくなれるツールはたくさん転がっている。

 それが酷くなると、「アディクション」になる。



 「準備」ができる人は、ものごとを達成できる。

 そのために、「時間」が必要だ。

 「暇」が必要だ。


 「準備」ができる人は、その「暇」を、投資する。

 準備に充てたり、仕掛品を作ったりする。


 仕掛品とは、あと1ピースあればできるパズルのようなもの。

 その1ピースは他人からだったり偶然与えられたりするけど、その偶然が来たときに「完成」させるためには、そこまで作っておく必要がある。

 それが、仕掛品。


 よく、「成功体験」を持っている人は、次もものごとを成功させられる、という。

 しかし、「成功」しているように見える人が、実際にはものごとを組み立てられない、ということがよくある。


 ものごとがうまくいっただけでは、「成功体験」とは言えない。

 同じ事を再現できないから。

 再現できるためには、どうして成功したのかを理解できないと、再現できない。


 再現するには、「計画」して「準備」して「実行」し、「検証」するという過程を経る必要がある。


 ものごとが偶然うまくいった人は、そのままでは再現できない。

 偶然ものごとがうまくいった人にとっては、常に起きることは「はじめて」で、偶然成功したり失敗したり、うまくいったり失敗したり、だ。


 たまたまBBQがあった。

 たまたまオフがあった。

 たまたまネットがあった。

 たまたま就職先があった。

 たまたま現金が手元にあった。

 たまたま借金漬けになった。

 お金が無くなったら、とりあえずパート。

 とりあえず転職。

 とりあえず、心を落ち着けられるもの。


 それらは、いつも偶然やってきて、偶然起きて、偶然うまくいったり失敗したりして、また偶然終わってしまう。


 常に不安定で、気持ちも不安だ。


 たとえ失敗しても、なぜ失敗したのかを理解できれば、それは一つの「成功体験」だ。

 だから、人は誰でも、「成功体験」となり得る出来事にたくさん立ち会っている。

 でも、それが「成功体験」なり得るかは、それがどうしてそうなるのかを理解し、「準備」期間と「実現」期間を頭の中で再現できるかどうかだ。


 これは先天的にできる人もいるし、訓練してできる人もいる。


 間違いなく言えるのは、「成功体験」が多い人は、自分に対する評価が高い、ということだ。

 ものごとを再現できるのだから、安定している。

 楽天的ではなく、現実的にものごとを見て、準備し、実行できる。


 「暇」に投資できる人は、自分に対する評価も高くなる傾向にある。


 「成功体験」が持てない人は、自分に対する評価が低い。

 というか、いつもびくびくしている。

 なぜならその人にとっては、物事は、常に偶然起きて、偶然成功したり失敗したりするから。

 酷い出来事は、予想できないところからやってきて、自分ではコントロールが効かず、堅く縮こまってやり過ごすしかないから。


 ものごとが次々と目の前で起きていても、それに対して何もできないなら、当然無力感を感じる。


 「準備」ができないから、物事はいつも偶然起きる。

 自分が何かできる、という信頼は、どんどん低くなる。


 「暇」があると、こういう人はかえって不安になる。

 暇な時間が経過したあと、また成功や失敗が偶然やってきたとき、「暇な時間があったのに」と「自己責任」を自分に追求してしまうからだ。

 どうして良いか分からない「暇」を、もてあます。

 もてあまして、不安になる。

 「暇」をどう使ってよいかわからない人は、自分に対する評価は低い。

 低いから、その分プライドはとても高かったりする。

 プライドのせいで、新しいやり方に飛び込むことができなかったりする。

 とにかく手を動かしてみればいいのに、手を動かすと「本当の自分」が見えてしまって、プライドが傷つくから、動けない。

 高いプライドが、古いやり方に自分を固執させ、どんどん自分の評価は下がっていく。

 毎日が不安で、たまたま良い出来事があってちょっと安心しても、また悪いことがあるのではないかと不安になる。

 周囲の世界をまったくコントロールできないのだから、不安になるのが当然なのだ。


 自己評価の低さと、「準備」ができず、時間を構造的に捉えることができないことは、ほぼイコールだ。


 だから、自分を覆っている不安と闘おうと思ったら、

 1)まず暇な時間を確保すること

 2)その時間を準備に充てること

 が必要だと思う。


 「暇」を持つことで最初は不安を感じると思う。

 そう感じるのが普通だ。

 多くの人は、「成功体験」なんて持っていない。

 成功するにはどういう準備をすればよいか、理解している人は少ない。


 しかし、まず「暇」を持たなければ準備はできない。

 そのために、積極的に「暇」を作る必要がある。

 そしてその「暇」に、積極的に投資する必要がある。


 準備をしたり、仕掛品を作る。

 ものだけではなく、「思考の仕掛品」をたくさん作っておく。

 本を読んだり、いろんな人と話をしたりする。


 成果に結びつくまでの時間が長い計画を、意図を持って準備し、実行できたら、その経験は大きな財産になる。


 一度「成功体験」を得れば、良い循環が起こり始める。

 周囲の世界に対する、コントロールが効き始める。

 自分に力を感じ始める。

 無力感が段々と薄れ、高いプライドが低くなる。

 その代わりに確かな自信と、物事に対する冷静な視点を持つことができる。


 自分の力が小さくても、まったく無力であることと、わずかでもコントロールできることの間には、天地の差がある。


 小さい力は、育てていけるから、やがて大きくなる。


 偶然酷い目にあっても、それは偶然だと割り切ることもできる。


 ここからがはじまりになる。