2番目に欲しいもの
高校生の時。
3月で定年退職を迎える先生が、最後の授業で、短いスピーチをした。
威厳がないわけではなく、生徒から舐められてはいなかったが、風采のあがらない感じの先生だった。
その先生が、最後に話した話は、こんな話だった。
「自分は、常に2番目に欲しいものを手に入れてきた。
一番欲しいものに手を伸ばすことはなかった。
出来なかったのか、しなかったのかはわからない。
けれど、常に次に欲しいもので済ませてきた。
こういう生き方をどうかと思って今まで来た。
が、最近、こういう生き方も一つの行き方なんじゃないだろうか、と思っています」
そう、それも一つの生き方だろう。
一番欲しいものに手を伸ばすのは、とても苦しくて辛いことだ。
手を伸ばしても、それを手に入れられないことを考えると、あまりに大切で、いとおしいからこそ、怖くて、手を出せなくなる。
だから、そういうつらさをあえて避ける生き方も、一つの生き方だと思う。
ただ、「一番欲しいもの」が常にあるとは限らない。
なにか、好きな人や好きなものややりたいことなどは、時間をかけて、ある時関係に質的な変化が起きて、「一番欲しいもの」になる。
「一番欲しいもの」は、だから、人生のうちで数少ないのかも知れない。
痛みを伴う、そのチャレンジを、誰もがすべきとは思えない。
でも、最近の僕は、「一番欲しいもの」を追いかけてみたい、と思っている。
「一番欲しいもの」に出会えるチャンスは人生のうちでそうそう無いこと、それを追いかける体力は年々失われていくことを感じているから。
なんてことを、「とらドラ!」を読みながら思った。