自殺に「美しい理由」はあるのか?
を読んで、思ったこと。
- 平成18年中における自殺の概要資料(pdfファイル:http://www.npa.go.jp/toukei/chiiki8/20070607.pdf)(警察庁)
をみると、見も蓋もない理由が多いです。
全体の2/3に遺書が無いので実際のところはわからりませんが、遺書が遺されている者については、「健康問題」41.5%、「経済・生活問題」2 8.8 %)、「家庭問題」10.0%「勤務問題」6 . 8 %となっています。
自殺が、人間にしかできない行為であることは間違いありません。
確かにレミングは自殺しますが、それは自意識によってではなく、単なる本能の命令によってです。
人間だけが、自分を他人のように対象化して、死に至らしめることが出来ます。
自己を対象化し、意識を持つことが出来るのは、人間が言葉を持ち、言葉によって自身を反照できるからです。
そもそも死が「死」であるのは言葉の効果であり、言葉を操る動物は人間だけです。
ですが、その死は、上記の資料を見る限りでは、大半が貧困や現実の苦境から起きていることがわかります。
自殺を対象化して、その謎にそれぞれの「理由」を見いだすことは出来るでしょうが、実際のところその理由は、「理由」としての「美しい理由」にふさわしいものではないのかも知れません。
自分がいくら自殺を考え抜いた、最良の選択肢であり、この世の無常に対してのささやかな反抗であると考えていたとしても、よくよく話を聞いてみれば、生活苦であったり健康の問題であったり、なにかしら介入できる問題であることが多い気がします。
だから、僕は自殺を支持できません。
少なくとも、北杜夫が言っていたように、「30歳を過ぎるまでは自殺はすべきではない」に賛成します。
北先生がその言葉を言ったときからずいぶん時間が経っているから、今は40歳くらいでしょうか。
「そんなこと言ったって、どうしようもないくらい苦しいんだ!」と言われるかも知れません。
ぜひ、言ってください。それが、解決の糸口なんだと僕は思う。
その言葉をはき出すことが、すぐには現状を変えないかも知れないけれど、やがて思いもかけない方向に現実が転がり出す一歩になるかも知れない。
そして、その助けは、思いもよらない人から与えられるかも知れません。
だから、「もう言うべきことは言い尽くしたよ」と思っても、言い尽くした周囲の人以外の人に、思いがけない人に、その言葉を投げかけることで、思いがけない受け止め方をされて、異なった自分の姿を見ることが出来るかも知れません。
追記:
肉体の苦痛について−ロリコンファルさん。
とはいえ、上記でkagamiさんが言われているとおり、どうしようもない肉体的な苦痛から自死を選ぶという行為はあるわけです。
この視点は常に忘れてはいけないな、と思いました。
この場合にも、具体的に苦痛を取り除く方策が必要なんだと思います。