reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

苦労が報われない

併せて読みたい。

 お客さまに対して感動を提供した数々の逸話を持つディズニーランドは、すでにご存知の方も数多くいるでしょうが、マニュアルの存在しない企業です。

 マニュアルであの対応は実現できない、という意見ももっともですが、一方で時給およそ800円のアルバイトスタッフがそれを支えているというのは驚くべき事実です。

 ディズニーランドが現場スタッフに示しているのは“SCSE”という価値基準であり、そのままの優先順位で業務を考えることが要求されます。

 この優先順位に基づいて、各部門のスタッフは自分たちで考えて行動を決めていきます。


 もちろん、これらの価値基準を示すことに加えて、スタッフを育成する仕組みが数多く見られますが、その根底には「自ら考えて自ら動ける」社員を創るという考え方があると思います。


なぜディズニーランドはマニュアルがなくても成功できるのか | 業界別 半年先の景気を読む | ダイヤモンド・オンライン

 ところで、ベンチャー系チェーンの中には、経営者を崇拝する社員たちが、自らサービス残業を買って出るケースもあるようだ。

 ブラック企業の問題に詳しいNPO法人若者就職支援協会の黒沢一樹さんは、自身もベンチャー系の飲食店チェーンで働いた経験を持つ。

「1日の平均勤務時間は16時間くらいでしたね。サービス残業はあたりまえで、泊まりもありました。みんなけっこう自分から長時間労働をしているので、おかしいなと思い、『どうしてこんなに働くんですか』って聞いたことがあるんです。そうしたら『決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!』と……。

 その店では社長が神様みたいに思われていて『あの人はすごい』『社長様さまです』ってみんな言い合っていた。たしかに店員は一生懸命接客していて、サービスの質は高かった。でも、それだけ働いて、正社員でも月20万円の給料って、どうなんだろう、と。結局、その会社は僕が辞めてまもなく潰れてしまいました」

 首都圏青年ユニオンの河添誠書記長は「とくに急成長中のチェーンの場合、労務コンプライアンスが規模の拡大スピードに追いつかないケースがある」と指摘する。


じつは派遣より悲惨!?“ブラック化”する外食・小売チェーンの正社員たち | 格差社会の中心で友愛を叫ぶ | ダイヤモンド・オンライン


ものがあふれた、教育の行き届いた社会だから、時給800円でも「自分の成長のため」に創意工夫して働ける。

「まじめに働く」ためには、環境と教育が整っていないと出来ない。


こちらも併せて読みたい


「新卒キップ」の奪い合い。未来の「既得権者」となるか、脱落するかの闘い。


その先の光景。

先進国で唯一、国民皆医療保険のないアメリカで、なぜこれほど公的保険を嫌う人々がいるのか?

このビデオには公的保険に反対する人々の心理がよく表れている。

下院議会で医療改革法案に投票が行われた21日、オハイオ州コロンバスの民主党議員の事務所前に保険反対派が集まった。

彼らに一人立ち向かったのは、パーキンソン氏病で歩くこともできないレッチャー氏。

パーキンソン氏病のために保険会社から加入を拒否されたレッチャー氏はオバマ大統領の保険改革で救われる。

「パーキンソンになったら医療保険が必要だ」と書いた札を持ったレッチャー氏を、保険反対派の一人が

「あんた、金を恵んでほしいのか? でも、この国にはタダのものなんか、ないんだ!」と罵倒した。

さらにもう一人のワイシャツにネクタイの男が1ドル札をレッチャー氏に投げて「金が欲しいならくれてやるぞ。もっと欲しいか」とからかった。

群衆は大笑いした。「共産主義者め!」と叫んでいる声も聞こえる。

「今、自分は保険に入っているから、保険に手を出さないでくれ。失業者や医療費を多く使う病気がちの人のために負担が増えるのはごめんだ」という人の気持ちを悪い意味で象徴するビデオだ。

同日、議事堂に入る民主党議員に保険反対派が群がり、アフリカ系議員に唾を吐きかけた。

保険反対派が掲げるプラカードには「俺の保険に手を出すな」「自分の保険料は自分で払え」「国民皆保険社会主義だ」「オバマ共産主義者だ」などと書かれている。

国民皆保険では富裕層がワーキングプアの保険料を負担する形になる。ワーキングプアには黒人やメキシコ系などのマイノリティが多い。

皆保険に反対する「ティーパーティ」と呼ばれる運動家の8割は白人。半分以上が年収1000万以上の高額所得者である。

今回の保険改革は年収2000万円以上の高額所得者への増税で賄われる。


苦労して、狭き門をくぐり抜け、努力に努力を重ねたのに、何にもしていないヤツラに何で俺たちの金を渡すんだ?


苦労が報われないじゃないか


「既得権者に対して感じる怒り」も、「既得権を得るための苦労が報われない怒り」も、自然な感情。


どちらも、「まじめな人が報われない」と言っている。


社会学者の鈴木謙介さんのエントリ。

世代間対立というのは、実際には平等なものの言い方だ。年長世代には得をした人間しかおらず、若年層には損をした人間しかいない、そういう話だ。だが現実には、その損得は相対的、あるいは確率論的なものでしかなく、同じ世代の中でも「断層」が生じている。そして、世代間対立に託された避難の矛先は、むしろその断層に向けられていることが多いのだ。


より簡単な言い方をすれば、BもB’も、「真面目な人が報われない」ことに苛立ちを覚えているが、その「真面目な人」の内容が変わっているのだ――「黙々と言われたとおりに働く善良な人」から「競争でうまく立ち回れない不器用な人」へ。


僕が考えているのは、世代間の不平等を招いている構造的な問題と、両者の感情的な対立は別に考えるべきだし、その上でAからBへと、A’からB’への分配を分けて構想する想像力が、どうやったら獲得できるだろうかということだ。A+BからA’+B’への分配は政治や経済のシステムで、世代内での分配は経済と感情のシステムで行うという二重構造を作るべきだし、ノブレス・オブリージュというならその方が適切だ。


現実に、そうした世代内分配を可能にするための協同作業は、若い世代の中で始まっていると思う。


「ちゃんとしようよ」というかけ声が、こうした協同作業を阻害し、「健全」な「既得権獲得競争」を推進する帰結を招くとすれば、それはとても残念なことだと思う。