昨日(08/6/22)の「文化系トークラジオ Life」 雑感2
続きです。
「犯人への親近感」について−派遣と非モテ
次に、犯人への親近感の問題。
まず、親近感そのものは、感じるのは結構だけれども、それはこの事件から誘発された、その人の物語であって、事件を読み解くこととは全然違うということ。
中身。
一つは、「派遣で苦しい」
もう一つは「非モテで苦しい」
この二つはちょっと質が違う。
「派遣で苦しい」は、法的な問題だから、きちんと規制をかけるなり行政の指導をするなりすることが必要。
特に派遣元企業は、ろくに社員が派遣先でどういう仕事をしていてどういう待遇を受けているのか知らない、と言うことが多い。
どこの社員か、と言えばあくまで派遣元の社員なのだから、派遣元は「金の卵を産む鶏」扱いするのはやめて、ちゃんと人間として扱わないとダメだと思う(参考文献:たとえば「生きさせろ!」雨宮処凛)。
「非モテで苦しい」は、これはそもそも概念に問題がある。
これ、まず女性差別ですよ。「童貞」とか言う言葉に含意されている処女信仰と一緒。
そもそも「モテ」ってなんだと言うと、非「非モテ」なんだよね。
「もて」=非「非モテ」
「非モテ」だと自己認識した人たちの幻想の領域にある。
多分サンタと一緒で、一生「モテ」は来ないですよ。
非モテが「非モテ」なのは、顔が悪いからとかコミュニケーションがヘタだからとかそういう問題ではないと思う。
コミュニケーションは、全ての人に対して全方向に開いているわけではないのだから、自分に合う人を探すことが大切なのですよ。
まるで親がエサをくれるのを待っているひな鳥のようだと思う。
それでエサが落とされればそれに越したことはないけれど。
「○○世代」というくくりについて
「世代」問題。「M君世代」とか、そんなの。
違和感を一様に表明されていた。確かにそう。
犯人のパーソナリティが大きい。世代の問題ではないと思った。
ただ、「連合赤軍」とか、人間集団に関する犯罪は、再現性があると僕は思う。
最近、速水健朗さんが、「連合赤軍は早すぎた自己啓発だった」と言う内容の文章を書かれていたけれど(連合赤軍事件は失敗した自己啓発セミナーだった - 【B面】犬にかぶらせろ!)、確かにあれは近代の人間集団に特有なパーソナリティだと思う。
経過を類型化して捉えることは可能だと思った。
「非モテ」問題から「恋愛資本主義」批判について
「二次元に萌える」という行為による生産物を交換することで経済サイクルを回すという本田透さんの構想って、実に資本主義的だと思った。
「人間の女は思考する。だからダメなんだ。あいつらは、『自分が良いように』と思考する。だが二次元は違う。二次元は、『俺たちが良いように』と思考するんだ。全ては、俺たちが楽しむため、萌えるために思考する。ああ……こんなの夢のようじゃないか!二次元は俺たちを傷つけない。永遠に俺たちのことを見捨てない。……金を払い続けている限りはな、裏切ることなんてしないんだ!」
続きます。
*1:僕は一大テーマパーク「モテモテワールド」というのを考えたのだけれど、それは稿を改めて書きます。