「スルーされる」情報と「受け止められる」情報の違いは何か?
それは、「つっこみどころ」があり、「共感」を呼び起こすものかどうか、の違いです。
情報を「スルー」する時代
僕は新聞も読みませんし、テレビも見ません。
電車の移動時間は、寝ているかものを考えているか本を読んでいます。
ぼうっと広告を見ても、まったく頭に残りません。
届くチラシは端から捨てます。
ネットの情報も、最近はあまり見なくなりました。
私のように、情報を「スルー」している人は多いと思います。
ところが、たとえばTwitterのつぶやきなどは結構見ています。
ホッテントリに上がったブログも一通りチェックしています。
たまに、コメント代わりにはてなブックマークをつけたりします。
SNSの日記は全部目を通しています。(サバイブSNS2.0へようこそ!)
SNSの場合は、良くコメントをつけます。
「つっこみどころ」があり、「共感」を呼ぶ情報を、人は受け入れる
ではどういうときに私のような人間は「情報」を追いかけ始めるのでしょう?
ある程度の答えが書かれた本が、こちらの2冊です。
上記の本では、これまでのように「大量の情報を投下して、それをみんなが処理する」というあり方は限界に来ている、と考えます。
限界に来て、なにが起きるのかというと、それらの情報は「他人事」として「スルー」されるわけです。
情報が「他人事」である限り、人は情報を受け取りません。それが、その人にとって必要なものであっても。
でも、ひとたびその情報が「つっこみ」やすく(ブックマークはみんなでつっこみをいれていますね!)、好きとか嫌いとかの感情=「共感」を呼び起こすと、人はその情報につっこみを入れ=参加します。
情報が、「自分ごと」になるわけです。
ひとたび「参加」すると、人は他の人にその情報を伝えるようになります。
ウィルスが増殖していくように、「口コミ」の情報が伝わる(バイラル・マーケティング)とき、もっとも多くの人が動くのはみなさんもよく知っていることだと思います。
ネットのサービスは、この「口コミ」が非常に増殖しやすい作りになっていると思います。
「はてなブックマーク」は「つっこみ」を入れるシステム
「はてなブックマーク」は一種の投票として使われていますが、「100字までのコメントがかける」ことから、むしろ「つっこみを入れる」メディアとして使われています。
そして、一度ホッテントリに上がれば、「面白い記事が現れた」と、他の人が「良い記事を見つける指標」になります。
「注目度」が集まった情報は、どんどん人を引きつけ、そこで共感を呼び起こし、ますます他人に伝えたくなります。
ネットサービスの仕組みは、注目度の高い情報を抜き出すようになっているので、ますますこの流れは加速し、大きくなります。
そして、臨界点(だいたい100ブクマくらいか)を越えると、一気に「爆発」します。
「つっこみ」の入れやすい記事は、そうでない記事より読者の参加を促します。
そのため、「つっこみ」の入れやすい情報は、その善し悪しにかかわらず、多くの人に受け入れられるのです。
その情報へのコメントが、「これはすごい」であるか、「これはひどい」であるかという問題はありますが……
情報発信するときには、あえて「つっこみどころ」を残しておく
「スルー」されないために情報を絞ることはもちろんですが、そこに「つっこみ」や「共感」を呼び起こす要素を加えること。
それが相手に「刺さる」情報の作り方であり、伝え方であるようです。