なぜ「共通の記憶」が生まれるのか
人は、ある一定の時間・空間を同じくすることで、擬似的に記憶を共有します。
この組織は<みんな>の在任期間が一緒なので、「共通の記憶」も潤沢です。
団塊の世代は、こういう場が多かったと思われます。
とはいえ、実際には、人は頻繁に入れ替わります。
同じ時間・場所を同じくしたかどうかで、「同じ記憶」を共有している人といない人が出てきます。
この図だと、Gさん以外は、重なって仕事をしている期間があるので「ひととなり」も雰囲気もある程度わかりますし、目で見て相手の仕事を覚えられたりします。
でも、実際は下図のような場合でしょう。
すごく長期間働いている人と、一定期間だけいた人と。
「事件」を3つほど書きましたが、その「事件」の記憶を持っているのは「現在」ではBさんとCさんだけです。
「現在」のGさんにとって、「引き継ぎ」ははじめてのことでしょうが、BさんとCさんにはなんども起きていることです。
どんな組織でも、どんな場でも、こういうふうに「共通の記憶」を持っているのは「たまたま」なのですが、その記憶が場を作り人を動かします。
この本で触れられている、「友だちの本質」とは、(擬似的に)極めて限定された時間と空間を共有した人間どうしの記憶のことです。