「先生」は教えてくれない
一方で、「生徒」ならば、この本に書いてあることを「先生」に求めてはいけない。「生徒」は先生はえらいを読んでそちらの心構えを使ったほうが良い。
この本
は、にとっては大変すばらしい本だけれど、
にとっては馬の耳に念仏だからだ。
「悪い例」
先輩:ここの団体の定例会議では、議長は各社の持ち回りだからな。次回はうちが議長の番だから、お前がやってみろよ
新人:え? 私がですか? 前回、初めて出席したばかりで議長なんて出来ないです。
先輩:大丈夫だって。
新人:でも議長って、何をやればいいんですか?
先輩:簡単だよ。みんなに発言させ、折をみて採決すればいいんだ。次回の議題はここに書いてあるよ。
新人:簡単っていっても……。第一、この議題の意味が分かんないです。
先輩;よく読んで考えてみろ。それから、前回出席して分かっていると思うけど、A社のBさんはウルサイ人だから要注意だぞ。
新人:要注意って?
先輩:Bさんの意見がバカバカしいと思っても、議長としてそれなりに尊重する振りをするんだよ。むくれると、あの人、あとが大変だからな。
新人:じゃあ、議長は私がやりますから、先輩も私の隣に座っていてくださいね。
先輩:オレは外せない用事があるんだ。お前一人で大丈夫だって!過去三回分くらいの議事録を読んで準備しておけばいいよ。じゃ、しっかりやれよ。
「「分かりやすい教え方」の技術」p16-17
「悪い例」としてあげられている「先輩」のやり方は、自分の責任を人に押しつけるという点ではそれほどまずくないやり方だ。
先手を打って押しつけているという意味では、うまいやり方といえるだろう*1。
だから、このタイプの人は、この本の残り162ページを仮に100万回読んだとしても、「合理的判断」に基づいて、「悪い例」を続けるだろう。
だから「新人」は、id:next49さんが言われるとおり、先生に期待などしてはいけない。
教えてくれないのが普通、教えてくれたらラッキーくらいの気持ちでいた方がいい。
この本は、そういう意味で、そもそも「悪い例」のような行動をしない先生のための本だ。
「悪い例」に直面してしまった「新人」がその場を乗り切る方法や、「新人」が「悪い例」の「先輩」を告発するための本ではない。
というか、しても無意味。
彼らは「合理的」に判断して、押しつける。
仮に新人が失敗したとしても、自分には責任が及ばないことを前提にことを進めているのだ。
そういう計算を無意識のうちにして、こういう行為をしているのだ。
だから「もっとちゃんと教えろ」などと抗議すれば、ヘタをすると返り討ちに遭う。
この場合、「新人」は理不尽な暴力にさらされるわけだが、むしろここから学び取るべきことは、
ということだ。
そのかわし方は、上記「先生はえらい」や、この本
を読むと良い。*1:非常にセコイけどね