reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

「この犠牲だけが私の人生に意味を与えている」

悩みを聞いて欲しいけれど解決して欲しくない一例。

……「一家の柱」として苦しんでいる母親を例にとろう。家族の他の成員−夫や子供−は彼女を容赦なく搾取している。彼女は家事をすべてやり、当然ながら彼女は年中愚痴をこぼし、自分の人生は報いのない無言の苦悩と犠牲の連続だと嘆いている。しかし要点は、この「無言の犠牲」が彼女の想像的同一化だということである。それは彼女のアイデンティティに整合性を与えている。もしこの絶えることのない犠牲を彼女から取り上げたら、何も残らず、彼女は文字通り「足場を失って」しまうのだ。
これは、話し手は聞き手から自分自身のメッセージの反転した−つまり真の−意味を受け取るという……完璧な例である。母親の休みない愚痴は、実は要求である。「いつまでもわたしを搾取してちょうだい。この犠牲だけが私の人生に意味を与えているんだから」。彼女を容赦なく搾取することで、家族の他の成員は彼女自身のメッセージの真の意味を彼女に返しているのである。いいかえると、母親の嘆きの真の意味は、「すべてを諦めてもいい。すべてを犠牲にしてもいい。犠牲そのもの以外は!」である。この家庭内の奴隷状態から実際に脱出したかったら、この哀れな母親はなにをすればいいのかというと、犠牲そのものを犠牲にしさえすればいいのだ。つまり彼女に搾取される犠牲者という役どころを与えている(家族の)社会的ネットワークを、受け入れるのを−あるいは積極的に支えるのを−やめればいいのだ。
したがってこの母親の誤りは単に、搾取される犠牲者の役割に黙って耐えているというその「不活動」にあるのではなく、彼女にそのような役割を割り振っている社会的・象徴的ネットワークを積極的に支えていることにあるのだ。
(「イデオロギーの崇高な対象」スラヴォイ・ジジェク p322-333)