reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)

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スイスには4つの「語圏」が存在する

スイスは4つの言語が話されている。

しかし、4つの公用語ー「ドイツ語」「フランス語」「イタリア語」「レトロマン語」ーは、スイスのどこでも話されているわけではない。

スイスの地図は、4つの言語が話されている地域で、きれいに区分けされる。


(「スイス - Wikipedia」より)


(紫 :フランス語、 黄 :ドイツ語(アレマン語)、 緑 :イタリア語、 赤 :ロマンシュ語


13世紀のスイス発足から現代に至るまで、4つの言語はそれぞれ特定の地域で話され、そのままの状態でスイスは統一されている。

本書を読むまで、このことを自分は知らなかった。


もう一つのスイス史―独語圏・仏語圏の間の深い溝 (刀水歴史全書)

もう一つのスイス史―独語圏・仏語圏の間の深い溝 (刀水歴史全書)


この本は、スイスの誕生である「原初3州」の時代からのスイスの変遷を、各語圏の推移に着目しながら記述している。

訳者あとがきをみると、語圏をつぶさに記述しているスイス史はこの本がはじめてだという。

そして、副題にもあるとおり、「ドイツ語圏スイス」と「フランス語圏スイス」の関係を軸にスイス史が語られている。

語圏問題はどのように生じたか?

13世紀初頭、極めつけの難所であったゴットハルト峠が通行可能となった。これによりスイス中央部は南北ヨーロッパを結ぶ要路となった。同時に今までひっそりしていた山岳地方がにわかに列強の関心を掻き立てることになる。とりわけ、ここスイスを発祥の地とするハプスブルク家は強権政治を敷こうとする。山岳民族はこれに激しく抵抗する。悪代官ゲスラーの無理難題にも怯まず、息子の頭にりんごを載せてこれを弓矢で見事に射当てるという「ウィリアム・テル」の世界だ。

1291年、ウーリ、シュヴィーツウンターヴァルデンの三州は、まずはお互いのいがみ合いをやめてうちから固めようと同盟を結ぶ。これがスイス盟約同盟の発足である。
(「傭兵の二千年史」菊池良生 p.72)

原初3州から8州盟約団となったときは、「スイスドイツ語」を話すスイス人が主だったのだが、その後、南、つまりフランス圏(フランスの領土ではなく、フランスとスイスにまたがる土地)に領土を拡大することで、フランス語圏のスイスが生まれた。

フランス語圏スイスが加わってはじめて、ドイツ語圏スイス、という概念が生じたらしい。


現代でも、ドイツ語圏、フランス語圏のスイス人は他の言語が苦手だ、という。


ドイツ語圏スイスのドイツ語の話し言葉は、特に「スイスドイツ語」という。

ドイツ語圏スイス人は、ドイツ人のドイツ語(高地ドイツ語)が苦手で、英語は結構話せる人が多いがフランス語はからっきしだという。

そもそも「ドイツ語」は15世紀まで、どこででも通用する一般標準文語体は存在しなかった。

「ドイツ人のドイツ語」もまた、ドイツ語の中の一つの方言だった。


フランス語圏のスイス人もまた、話せるのはフランス語のみだそうだ。

ドイツ語は学校で習ったのをしどろもどろに話すだけ。英語のほうがまだいけると。


他言語に長けているのは、スイスでは少数派のイタリア語圏スイスとレトロマン語圏スイスで、少数派ゆえに必要不可欠だった。

宗教改革」の影響

スイスのドイツ語、スイスのフランス語は、「宗教改革」の歴史に影響を強く受けている。


宗教改革の際、ルター訳の聖書はドイツ語で書かれていたが、スイスのドイツ語とは随分言い回しが異なっていた。

チューリッヒの改革者たちは、そこで、それをスイスのドイツ語になおして出版した。

これをみて、ルターは「粗野なドイツ語」と評した。


その後、出版されるドイツ語は、ドイツ人のドイツ語が標準となった。

そのため、スイスでは、書き言葉はドイツ人のドイツ語に重なったが、話し言葉はそのままだった。


この二重状態が、現在に至るまで続いているという。

ドイツ人からすると、ドイツ語圏スイス人が書いてあることはわかるが、話す言葉はよく通じない、という状態のようだ。


対して、フランス語圏のフランス語は、カルヴァンの威光により、書き言葉も話し言葉も、フランス人のフランス語にほぼ統一された。

なぜ語圏かー文化受容の問題

語圏の問題は、文化受容の問題でもある。


スイスでも、「アルプスの少女ハイジ」は人気があるが、スイスの文化人は「あれはスイスではない」と嫌い、スイスの公共放送(スイスドイツ語)では放送されたことがない、という。


ではどうやって見ていたのかというと、隣国ドイツが放送した電波が流れてくるのだという。


フランス語圏でも同様だったのだろうか?そうでなければ、フランス語圏とドイツ語圏での「ハイジ受容」の仕方は異なるだろう。

語圏によって変わる文化

スイスでは日本も関係するイベントなど開かれる。

例えば、スイス最大のポップカルチャーイベント「ポリマンガ」は、ローザンヌモントルーと、フランス語圏で行われている。HPもフランス語だ。


2013年は、イベント内のイランストコンベンションで日本人が優勝したそうだ。

どこで開かれるのかによって、その地で使われている言葉も、文化も異なるので、開催場所に気を配ると、見えてくる光景も違うかもしれない。

スイスが分裂しないわけ

言葉が異なれば、帰属意識も異なるのではないか、と思える。

なぜ、それぞれの語圏のスイス人は、「母国」に帰属しようとしないのか?


現代に至るまで、ドイツ語を話すスイス人はドイツに加わろうとはしないし、フランス語圏も同様だ。

言葉が異なるのに、ひとつの国でまとまっているのは不思議に思える。


しかし、歴史を振り返ると、その理由に納得がいく。


元々ドイツ語圏スイスは神聖ローマ帝国から独立して成立し、神聖ローマ帝国を統べたスイス出身のハプスブルク家とも何度も戦い、独立のための勝利を勝ち取ってきた。

そういった歴史があるので、ドイツ語を話してもドイツとの一体感など無い。


フランス語圏も同様で、国家としてのフランスに属していたわけではないので、フランスへの帰属心はない。


外国人が「◯◯語」で、同じカテゴリーに思えてしまうほど、簡単な問題ではないようだ。

ドイツ語圏スイスとフランス語圏スイスの格差

フリーランス」の語源となったスイス傭兵部隊は、1474年の傭兵契約以降、フランスの歴代の王に重宝されるが、意外なことに、「スイス傭兵はドイツ語を話すべし」がフランス王の要望だったという。フランス語圏のスイス人は、純粋なスイス傭兵ではない、というのがフランス王の意向だったらしい。

以降、スイスは傭兵をフランスなどに「出稼ぎ」に出し、外貨を獲得していた。それは「血の輸出」と言われた。


その状況が変わったのが1685年の、ナントの勅令の廃止、だった。

これにより、時計などの技術を持ったプロテスタントが多く移り住み、スイスは産業国としての道を歩み始める。




ヨーロッパの歴史を学んだら、再度読み返し、年表に落として行きたいと思いました。


もう一つのスイス史―独語圏・仏語圏の間の深い溝 (刀水歴史全書)

もう一つのスイス史―独語圏・仏語圏の間の深い溝 (刀水歴史全書)

世界史を通読するのには、こちらがとても良かったです。

傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

id:kousyouさん、ありがとうございました。