「男性性」が気持ち悪くてしょうがない
心の災害派遣
東日本大震災のとき、ほとんどの被災者は、自衛隊の活動に感謝してくれた。しかし、一部の人々は、自衛隊員にも辛辣な言葉を浴びせた。自衛官が、”お上”の一部でもあるからだ。
上司が調整から戻ってくるまでの間、車の横で待機していた隊員が「おまえら、なにをボーッとしているんだ」と罵倒されたり、水を運搬した隊員が、「もう水はいい、ビールを持ってこい」と怒鳴られたり。
冷えた缶詰のラベルに「赤飯」(腹持ちがいいので、赤飯の缶詰が結構あるのだ)と書かれていたのを見て、「おまえたち、自分たちだけいい飯を食って。なにがめでたいんだ」と詰め寄られた隊員もいる。
隊員は、「なんとか被災者のためになりたい」と純粋な思いを持っている。その分、その被災者に罵倒されたとき、たいへんに傷ついてしまう。
そんな隊員にカウンセリングをするときは、この”惨事の後のイライラ”について説明する。
「イライラは症状である。イライラをぶつけることによって、悲しみに直面しないで済んでいる。君は、その人になにか言い返したのか」
「いえ、なにも言わずに、黙って耐えていました」
「それでいい。われわれにイライラをぶつけることによって、その被災者は他の人を攻撃せずに済んだかもしれない。悲しみを一瞬忘れることができたかもしれない。君が苦しい思いをこらえたことには、意味がある。君は、『心の災害派遣』をしたんだ」
「平常心を鍛える」下園壮太(p151-152)
特定の組織を美化するつもりではなく、単に自分にも同じようなことがあって、無かったのは、こういうフォローだった。
沁みた。
オタクと大人
とはいえ、やっぱ30超えたら大人なんだよな……というのがぼくの中ではシンプルな事実です。精神とか趣味とか社会的地位とか関係ない。だから大人がいなくなったとかいう話は、あんまりピンと来ない(大人になろうとしてる人の大人像を聞くと、たまにニーチェの超人くらい大人をなんかすごいものだと思いすぎてることがあって恐ろしい……)。
番組内外伝でも言ったけど、岡田斗司夫が90年代に言ってた「ぼくらオタクは子供なんじゃない。新しい形の大人なんだ」というのが、もはや当然のようになっているこの時代。ぼく個人としては、大人かどうか問われれば、社会的にはそうなんじゃないすかねと答えるしかない。
やはり作家の感性というものはすごいと思った。
はてな村のひとたちは、この言葉が突き刺さる人は多いんじゃないか。
「『非モテ』論争」は、形を変えた、「成熟を先延ばしにする行動」なので。
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