「男性性」が気持ち悪くてしょうがない
「放浪息子」を10巻くらいまで読んだのだが、作品に出てくる「男」が、「男性性」を代表しているとしたら、これほど醜悪で救いようのない存在もないと思った。
「男性」に対して嫌悪を覚える人が、こういうふうな「男性」を嫌っているとしたら、自分もまたそう思うし、気持ちが悪くてしょうがない。
破滅的で暴力的で、柔らかで壊れやすいものをいとも簡単に壊す。
壊れるべきは、てめぇの頭の中身だろう。
脳みそかち割ってやろうかクソ野郎が、と思う。
高校生のとき、半年ほど体育会系の部活に入った。
よくある体育会系の部活で、僕にとっては最悪だった。
同世代に馴染めなかったというのもあるが、そもそも、OBがわがもの顔で来てシゴキ、神のような態度をとっていた。
お前の奴隷になったつもりはない。
夏休み中の合宿が最低だった。
昼間は、暇なのか、同伴してきたOBがシゴき、口癖は「俺達の頃はもっとシゴカれた。お前らは楽をしている」だ。
てめぇの肉棒でもシゴイてろってんだよ、ドアホウ。
夜は、高校二年生の「先輩」が、高校一年生の後輩をカモに、花札で数万円を巻き上げていた。
犯罪だろうが。
俺は輪に加わらず、持っていった心理学の本をずっと読んでいた。
その姿が浮いていた。
当時もそう思ったし、今もそうだけれど、本当に、サルの集団だったよ、あそこは。
で、悩みに悩んだ末、監督である体育教師に電話をかけた。
相当渋っていたが、辞めますの一点張りで、電話を切った。
親には「根性ないやつはどこに行ってもダメ。逃げグセがつく。やめたら後悔する」とずっと言われていた。
終わったあと、とりあえずあとの夏休みは地獄から開放されて好きな本を思い切り読める、と思った。
母親は言った「根性なし。一生後悔するよ」
その後、後悔をしたことは一度もないし、嫌いな先輩や同級生とは完全に他人になったし、対等の付き合いをする相手もできた。
あれはやめて正解だった。
そして、周囲のアドバイスは全く役に立たないどころか根拠不明の呪いだった。
その後、しばらくはそいつらに会うたびに「脱走兵」と陰口を叩かれた。
しかし、学年が変わり、友人に広い交友範囲を持つ学校の有名人が出来ると、彼らは手のひらを返したようにこちらへの態度を変えた。
ぶっちゃけ、へつらい出した。
死ね。本当にこいつらはゴミだ。理解不能だ。死んでくれ。廃棄物だよお前らは。
呪いの言葉をかけた奴らは、そんなことをすっかり忘れて我が世の春を謳歌しているはずだ。
やつらに「柔らかい物」など分からない。
「男性性」などという「マチズモ」に自分はどうしても慣れることはできないし、和解もできない。
もちろん、自分がどうしようもなく酷薄で、感情的で、ヘタレだということは知っている。
だから、女性的なひとからすれば、僕は十分に無情で暴力的な、動物的な人間なのだろう。
それでも、あの「男性性」を当然と受け入れる文化集団には嫌悪感しか感じない。
もちろん、彼らからすれば、俺はゴミだし屑だしそもそも認識の埒外にある棄民だろう。
彼らのために世界は存在し、彼らが謳歌するために経済は回り、世界の力関係の網の目にうまく入り込んだ彼らが世界を支配しているのだろう。
相対的には、俺もまぁ、屑だよ確かに。
この考えだって、どう見ても原理主義的だし。
「放浪息子」は、そんな僕の、小さく歪な心根などは全く凌駕した、やわらかな感性、「性的なもの」と「成長」とを描いている素晴らしい作品でした。
一気に読んだのだが、どうしても書きたくて書いた。
駄文だ。
すまない。
3巻を読み終わるくらいに、3,4回ウルッときた。