reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

なぜ「なにをしていたんだ?」という問いかけは暴力的なのか?


僕はこの問いかけが苦手だ。

「なにをしていたんだ?」「どこに行っていたんだ」などなど
(「なんでそんな髪にしている?」「おまえの生活はどうなっているんだ?」「なんでそんなことをするんだ?」etc.)


今でさえそうなのだから、子どもの時に言われれば辟易する。*1

この問いかけをされると、たとえ正しい答えを言ったとしても、気分がよくない。「友達と遊んでいたんだよ」と答えても落ち着かない。本当にそうであっても、内面をぐるりと覗かれている気がする。人に言えないような行為をしていたときであっても、そうでなくても、感じる視線は同じだ。「その隠しているものを出せ、見せてみろ」という視線。

こういうことを親から言われても適当に答えられる友達が不思議だった。今も不思議だ。実際は平気ではなかったのかな?


ところで「内面」というのは、恥ずかしいものだ。だいたいが言葉にできない思いから成り立っているのだから当然だ。全てオフィシャルに記せる内面など、内面ではない。堂々と言えないことが、言葉にうまくできないことが、内面を構成している(だから内面の吐露は「恥ずかしいセリフ」なのだし、公式の言葉は白々しくどこか「嘘くさい」し、秘密は親しいひとにだけこっそり明かされる)。

「内面」は「恥」とともにあって成り立つ*2


実は、この問いは、「本来ならおまえはこうあるべきなのに、いったいなにをしていたんだ?」という文の前半部分が欠けたものだ。だから、すでに答えはあって(あると想定されて)、問題はそれに適合しているかどうかだ(適合しているかは答えが出た後で決める)。
しかし、内面はオフィシャルに表明できないものなんだから、適合はあり得ない。はじめから答えようのない問いかけなのだ。

そして、この問いかけをされると受け手は、相手が「自分の内面を知っているんではないか?」と思い、恥じる。
この問いかけの形式自体が、相手の内面を丸裸にする力を持っている。

問いかけの形式自体が力を持っているんだから、問いを発する人間が相手の内面を覗こうなどと思っていなくても、力は自動的に発動する。この力は強大だ。だから無自覚に、あまりこういう強い言葉を使わない方がよい。


……たぶん、友達は感覚的に「親っつーのはしょうもないことを言うな」と割り切り、用意していた答えをしらっと答えていたんだろう。この問いに囚われるときは、自分自身か、環境がどうしようもなく具合が悪くて、そのままではいられないようなときだから。友達は元気だったんだろうね。


でも、この「問う−問われる」関係は一面的に悪いものではない。生産的な方向に向かったときには、問われる側の才能を引き出す、という力も持つ。「あらかじめ相手は何かを知っている」と想定することで、人はその想定にひかれ、自分の現在持っている力以上の力を発揮する。この「すげえ」と思わせる相手が、自分にとって特別な人、「師」とか親友とか恋人などだ。それは端的に言って偉大な勘違いだ。自分が思うほどに「ものすごいこと」を知っている人などいないし、そうであれば師を越えるなど一生できない。逆に、越えられない壁として意識されることが、そんなふうな誤認が、壁を乗り越えようとする意識を生む。

*1:辟易<へきえき>:相手の勢いに圧倒されて、自分のしようと思ったことができなくなること 「新明解国語辞典」より

*2:西洋だと、神が全てを決めるので、恥ではなく「罪」のようです