reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

僕はベーシック・インカムを応援します

ちょっと長文です。
はじめに一番強調したいことを言いますと、「労働=義務」はもうやめよう、労働と生存を切り離して、誰もが生きているだけで生きるのに必要な金銭を得られるようにしようよ、ということです。


ベーシック・インカム」とは

最近「ベーシック・インカム」という考え方に興味があります。

ベーシック・インカム」というのは、生存するのに必要な金銭を個人に無条件で保障する、という制度構想です。
「構想」とあるとおり、実際に行われているわけではないのですが、国際的な研究組織もあって、世界的に注目されています。

生活保護」制度との違い

生活保護制度」との違いは、無条件での支給、と言う点にあります。
生活保護を受けるためには、様々な条件−それも自治体ごとに異なる−をクリアしなければなりません。
生活保護水準以下の収入におかれている世帯のうち、実際に生活保護を受けているのは20%程度だと言います。(イギリスでは9割前後)

最近は、北九州市が先陣を切っているのですが、生活保護への予算削減に伴い、「水際作戦」という名目で書類を渡さず、「親類縁者に頼れ」など窓口で門前払いするケースが増えているそうです。書類を受け取り記入すれば本来受け取れる人を排除して、なんとか「予算の枠内」に納めているのです。
そして生活保護を受けたとしても、遠隔地への就業を強制されたり、いわれのないやっかみ(あの家は生活保護を受けているのに寿司を取ってやがる)を受けたりします。

生活保護では、そもそも少ない予算の配分の問題が、「どれだけ苦しい状況にいるか」「どれだけ苦しい労働を強いられているか」などの受給水準の問題にすり替わってしまっています。(これは後ほど述べるように、「労働=苦役」という感覚からもたらされています) はっきり言って、半ば役所による困窮者いじめにすり替わっているところがあります。必要なのは十分な予算なのに、それを労働という苦役を果たしているかという道徳観で薄めてしまっているのです。

日本と諸外国の「福祉政策」の違いと庶民の受ける実感

日本の福祉政策はこれまで、公共事業の発注を通して地域に金銭をばらまくというやり方をしていたので、自分たちが国家から養われている、という感覚は生まれませんでした。配分された予算は公共工事を請け負った業者から賃金として受け取るので、「俺たちは働いて賃金を得ているんだ。お国の世話になんかなっていない」という感覚に結びついていました。
欧米では直接給付するので、その点国家の直接扶養という感覚が行き渡り、受け取る側の心理的負担は低いそうです。

もう、労働=義務から脱しても良いのではないか

これまで豊かになる前の日本では、労働は義務であり権利でした。労働と生存が分かちがたく結びついていたのです。
しかし、すでに十分豊かになり、生産力も上がり、「生きていく」という点で生産すべきモノを生産するための労働時間は極端に短くなりました。
それなのに、労働をして賃金を得なければ生活することは出来ない。この経済システムは依然として古いままです。

はっきり言って、現在の日本の生産水準から行けば、生きていくのに必要な生産物を生み出す労働は、1日2時間程度で良いそうです。
それなのに、8時間フルタイムで働いても生活を十分に営む収入を得ることが出来ない人たちが激増している。
これは経済システムの大きな矛盾ではないか。

貧困問題を就労問題に収束する必要はない

ワーキング・プアと呼ばれる、フルタイム働いているのに生活保護水準以下の収入しかない世帯は400万世帯に上ると言われています。
失業率も高い値を更新しています。

しかし、そもそも全員就労を前提として政策を立てること自体がもはやムリなのではないか?
生産力が十分に高まったのだから、もはや労働と生存を切り離し、誰もが生きていると言うだけの理由で、十分な金銭を得るような政策があっても良いのではないか?
「貧困」の問題の解決では、僕はこういった考え方が必要だと思います。

これまで日本人は、労働=苦役であり、苦役を通して人は生きる糧を得る、と言う神話によって働き続け、未曾有の生産力を築き上げてきました。
でも、もういいんじゃないか?
労働と生存を切り分け、最低限の生活保障をした上で、それ以上の金銭を望む人は働けばいいし、そうでない人は堂々と生活を楽しめばいい。
そんなゆとりある成熟段階に、日本は達してもいい気がします。

ベーシック・インカムで不況からの脱出も可能?

今、日本は好況だと言いますが、その実感が国民全体にあるわけではありません。
ベーシック・インカムという制度により、この実感を伴った不況脱出も実現できます。
実は日本の不況は、モノはあってもカネはない、という消費不況です。
生産力をキリキリと高め、賃金を切り下げて商品価格をいくら下げても、賃金を下げれば下げるほど、モノを買える人が少なくなる。
ほとんどの人は賃金で商品を買っているんですから、当然のことです。
逆に言えば、ベーシック・インカムのような政策を実現すれば、生きていくために必要な金銭を常に保障されていれば、みんな生きるためにそのお金は消費するのですから、経済は循環します。蓄財から消費へと金銭が移行するのです。

すでに成し遂げられている一律給付

日本では、諸外国と比べて格段に充実している制度があります。
それは「公教育」です。
誰もが、義務教育は無条件に受けることが出来る。
みんな普通のことだと思っています。年収の多寡に関係なく、誰もが学校に行く。実はこのことはすごいことなんですが、それがすごいことではなく普通に受け取られていることこそ、すばらしいことだと思います。

それを「年収200万円以下の子どもしか公教育は受けられない」という制限をつけたらどうなるでしょう?
そうしたら、「年収200万円を超える子ども」はみんな私立に行かなくてはなりません。
そして、「あの家は公教育を受けているのにすき焼きの臭いがする」という近所の噂が立つのです。
そんな足の引っ張り合いをする世の中、気持ち悪いでしょう?

労働はもはや義務ではない

僕は、極端なことを言えば、アル中でそこら辺をうめきながらさまよっているおっさんを横目で見ながら、エグゼクティブなサラリーマンがいそいそとその脇を通り過ぎ、夜になるとそれぞれこういうネットなどの場でお互い名無しで意見を戦わせている世界が正常だと思います。


僕が一番感動したのは、「もう働くという苦役から脱しても良いんだ」という点でした。というか、苦役である種類の労働の強制はもうやめようと。

もちろん、予算の問題などクリアすべき点はいくつもありますが、最低限の保障を無条件に行うという労働と生存への概念の転換は注目すべき点だと思います。

そんなわけで、僕はベーシック・インカムを応援しています。