「マッチョとウィンプ」って何ですか?
不運と理不尽に襲われたとき、うまく切り抜ける人と、逃げ切れずに酷い目に会う人の違い - 分裂勘違い君劇場 by ふろむださん
ほとんどの人間は、それほど酷い不運にも理不尽にも見舞われないので、マッチョにもウィンプにもならない。
酷い不運と理不尽に襲われた人間だけが、マッチョorウィンプになる。
マッチョとウィンプは、かなりクリアに区別できる。
そして、そのような世界で、不運と理不尽に襲われたとき、マッチョになる道を選ぶか、ウィンプになる道を選ぶか、それはあなたの自由だ。
マッチョでもウィンプでも、あなたの好きな方を選ぶといいだろう。
そうかしら?
クリアに区別できるどころか、僕にはなにが「マッチョ」で「ウィンプ」なのか、さっぱり分からないでいます*1。
ある程度の規模があり、それなりに組織だった企業なり団体であると、「黙々と働く」「理不尽に嘆く」人以外にも、「自分の保身を守り続ける」「状況に流される」人などが最後まで残っていたりします。
図にするとこんな感じ。
この1〜12は、自分で選ぶことは出来ません。
結果として、1〜12に当てはまる、と言うだけの話です。
この行程がn回繰り返されると、どんどん振り落とされる人が出てきて1〜12に当てはまる人の数はどれかに偏るかも知れない。
しかし、「マッチョ」とか「ウィンプ」とかが実在として、どのn回目でどの1〜12に(もっとあるかも知れない)に当てはまるのか、僕にはよく分かりません。
そもそも、このような1〜12の区分を「マッチョとウィンプ」で上手に線引きできるのでしょうか?
「マッチョとウィンプ」は補助線
僕は、「マッチョ」という言葉を最初に発したid:fromdusktildawnさんと、それに対義語としての「ウィンプ」をつけられたid:dankogaiさんにかなり感謝しています。
このことで、いろんな問題が見えやすくなったので。
しかし、「マッチョとウィンプ」という言葉が一人歩きし、そして誰がマッチョでウィンプだなどという話になると、非常に眉唾に思えてきます。
「マッチョとウィンプ」というのは、問題を見えやすくするための、いわば「補助線」です。
「補助線」は、問題の見通しを良くするために引く線ですが、それが「補助線」であるのはあくまで個別具体的な特定の問題と結びつきセットになったときであり、補助線単体では「補助線」として成り立ちません。
問題から独立した「補助線」は、単なる「線」です。
そして、単なる線は別の文脈に絡み取られ、別の意味を持ってしまいます。もはや問題の見通しを良くするどころか、返って混乱を巻き起こしてしまいます。
ある特定の問題に付属した概念を別の場所で適用しようとすると、とたんにその概念は変質し、別の問題にすり替わってしまいます。
実在しないものを実在するかのように扱うのは危険な行為だと思います。