reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

学校を司法から独立させる根拠は何?

タイトルが全てです。


学校だけ、暴力が免罪されるのはなぜでしょうか?


殴っても、それは「子ども期」だから許されるのでしょうか?


僕は許されるべきではないと思う。


「やられたらやり返せばいい」とか、いつの時代の話ですか?

ここは文明国でしょう。

それが「子ども期」だというのは、大人の幻想ではないのでしょうか?


もともと、学校は暴力が肯定されている文化がある。

教師による暴力が肯定され、それを子どもたちがまねをする。


子どもはあらゆる物事を「ゲーム」にする。いじめもゲーム。自分が傷つかず、いかに楽しく暴力を振るうかのゲーム。

さらに悪い奴は、他人に暴力を振るわせて楽しむ。ひねくれた根性。


ところが、「ゲーム」として暴力を楽しむ人間は、自分が傷つくことが分かればあっさり止める。情けないほど、あっさり止める。

「暴力を振るえば自分も検挙される」という当たり前の市民のルールを導入することで、「ゲーム」そのものが崩れる。


暴力を「子ども期」だから穏便に、とうやむやにすることは、暴力を肯定することに繋がります。

はっきりさせておいた方がいいと思う。


学校に司法を入れてはならない、その根拠が、僕には見えません。

労働法を会社に入れてはならない理由くらい、不明瞭です。


チベットリンク

日本でも、様々な行動が考えられているようです。