視界「雑音」
騒音や悪臭がなぜつらいのかと言えば、それらの音や臭いによって脳が意図した以上に活性化させられるからだ。
それは、感覚としては不快として現れるし、客観的には脳の疲れとして現れる。
「騒音」に「慣れる」
騒音に慣れている人もいる。
そう言う人たちは、
- 刺激が脳に行っても「なかったもの」として無視する
- 脳で刺激を感じても、それを感覚として感じない
という二つの「麻痺」によって慣れる。
ずっと騒音の中にいると、だんだん慣れていくのは、「耳がきかなくなる」のと、「騒音と感じなくなる」からだ。
1)の段階でシャットアウトできると、脳は疲れないが、2)の段階は、「脳が疲れているという感覚に鈍くなる」ということだから、「なぜだかわからないけど疲れている」という感覚に繋がる。
いつの間にか疲れている
大きな音だとはっきりわかるけど、たとえばパソコンのファンの風切り音などは、意外と神経に障るがそこまで気が回らないことが多い。
でも、そのために脳にストレスがかかり、意図せず疲れていることが、実は多々ある。
時々自然の中に行くと、気分がすっきりするのは、自然が何かを与えてくれると言うよりは、脳への刺激が弱まって、本来のスペックを発揮できるからだと思う。
同じ事がどの感覚にも言える。
五感の残りは視覚、触覚、味覚だが、特に僕は視覚の「雑音」に弱い。
机の上がごちゃごちゃだと、目移りしてしまってそれだけで疲れる。
パソコンのウィンドウが複数開いていると、疲れてしまう。
僕は机の上をきれいにして、目に入るものを少なくしたら、かなり疲れなくなった。
疲れやすい人は、モノを片付ける一手間に時間を使うと、疲れが和らぐかも。
「労働衛生」としての整理整頓
オフィスの整理整頓がなぜ重要かと言えば、どこに何があるのか誰にでもわかる状態に保つ、と言う理由だが、もう一つ、労働衛生の観点から言っても、やはり「視界雑音」を防ぐ、という意味があると思う。
まぁ、すぐに職場全体がきれいになることは難しいから、少なくとも自分の机の上くらいはきれいにしておきたいですね。
「雑音」を減らせば、もっと世界は開けて見えるかも
自分にとって、どの感覚の何が「雑音」なのかを把握すると、疲れが少なくなるかも知れない。
僕にとっては、満員電車がとびきり「雑音」の発生源だ。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚に直接触れてくる。
それでもそれらの感覚を「鈍らせて」なんとか乗り切っていた。
都会の生活は、感覚を鈍らせることで成り立っているのかも知れない。
そして、脳の疲れを犠牲にして成り立っているのかも。
職場に自転車で通えるようになったら、エコロジカルな点でも個人の脳への負担の点でも、メタボ対策にも良いだろうなぁ。