「出版大崩壊」を読んだ
おもしろかった。
- 日本の著作権法は電子化への規定がない。
- このままではプラットフォーム(AmazonやGoogle)が、手数料だけ抜いておいしいところを持って行ってしまう
- ところが、著作権に関して、出版社、著者、法律家が足並み揃わず、手をこまねいている状態
- 電子出版では既存の出版社・著者は儲からない-売り上げのほとんどはケータイのポルノコミック。
- 衰退するもの1:質のよい書籍
- 衰退するもの2:地方の書店
- しかし、著作権にぶら下がり、再販制度におぶさった状態でいいのか?
- CD、DVD、GAMEなどはすでに洗礼をうけている。もうミリオンはない。
- てかぶっちゃけ、人口の問題だから
- ではどうするか?
という内容。
自分がピピっと来たのは、
- ホノルルの書店の話。ゆっくりと本を眺められ、欲しい本を手に取るとそこにあるソファに座りゆっくりと読める。そんな書店が無くなった。
- CD、DVD、GAMEを先例と見る。
など。
まだあるかもしれない。
あたらしい書店のかたち
今の書店は大きく二つに分かれている。
この二つの大きな違いは、「書店」か、「書店+α」か。
日本の書店は、ざっくり言うと「棚貸し」商売。
日本の出版は、取次から書店への、雑誌の流通網が整備されていて、その流通網に乗せることで配送単価が安くなる。
毎日新しい雑誌が配達され、書店は棚に雑誌を置く。
一定期間が過ぎると雑誌は同じ流通網を逆向きに送られ、多くは裁断される。
一般書籍はその流通網に乗って書店に届く。これも一定期間後、取次に戻される。
つまり書店とは、流通網で流れる雑誌・書籍が一定期間ディスプレイされる場所。
書店は本を買わない。売れた本だけ、手数料を請求する。
(だから万引きされるとあっけなく潰れる)
滞留する場所、という意味では、整頓された倉庫と似ている。
本は重い。
毎日ディスプレイを入れ替えるという重労働が書店の主な仕事だという面からみると、書店とは本を得る場所というより、荷物をどんどん入れ替えていく場所だと言える。
一般の書店で、本の入れ替え・整理以外に労働力を使おうとすると、すごく高コストになる。
ディスプレイし、ポスターを張り替え、店内を明るく照らして……それ以上を行う動機付けがない。
なお、Amazonは巨大な流通網を独自につくり、倉庫の集中と流通量の大きさによって、配送コストを大幅に下げている。
書店というよりも、ひとつの流通網だと考えられる。
(他のネットショップには、そのような流通網があるのだろうか?楽天やセブンネットなどはどうなのだろう?)
なので、「読書空間」を提供する場としての書店、は、これからのあたしい課題だと思う。
自分が知っている取り組み
- カフェと併設して、買った書籍をその場で読めるサービス
- CD・DVDやゲームなどの総合書店で、一角を子どもたちの「デュエルコーナー」として開放し、無料で安全に子どもたちが遊べる「たまり場」を提供している。証明を明るくし、小奇麗にして、死角を無くすと、見た限りでは万引きはしにくそうだった。
多分今後、縦(出版社-版元-流通-大手・零細小売)と横(他業種、地元店)の交流を行い、様々な取り組みによって「読書空間」をつくっていく取り組みが必要になっていくと思われる。
結論1
「ジャスコ化」は効率を求めた必然だし、その方向でのインセンティブしか現時点では生まれていないのだが、それを運命と受け入れるのか、あがくのかが問われていると思う。
CD・DVDやGAMEを先例とし学ぶ
ここはさらに狭い自分の観測範囲だけ。すみません。
CDが6千枚ほどでオリコンチャートの10位以内に入れることを著者は嘆いているが、その枚数は市場規模そのものを表しているのだと思われる。音楽性がないから売れないのではなく、適正に売れてその枚数なのだと思われる。
だって人口が減っているんだもの。
AKB48が売れたのは、CDの使用価値を「メディア」から「付録付きメディア」(食玩のようなもの)に変えたこと。
調べればわかるが、今CDが売れているのは、AKB48、ジャニーズの次は坂本冬美だったりする。
逆に、枚数が捌けないCDが音楽的に問題あるのかというと、そんなことはない。
最高の音楽を提供しても、CDだけでは売れない。
みんなMP3に変換して持ち歩いたほうがラク。CDを買うインセンティブは、CDそのものには少ない(付加価値が付くと別)
こうなると、逆手にとって「体験」を売るのがひとつの方策と考えられる。
例1:イベント連動型
アーティストに生で会える、逆に生であったアーティストから買う。
サインなども有効
例2:同時体験
「プロの犯行」という言葉が動画サイト界隈で言われてる。
セミプロ、またプロが、ニコニコ動画などで、ハンドルネームで作品を発表し、ファンを獲得していく。
日々、視聴者が「発見」という体験をしながら、大きなうねりを作っていく。
この例では、アニメやゲームの公式ファンサイトが非常に参考になると思う。
「ひぐらしのなく頃に」という作品は、ノベルゲームで文章の分量が大変多いのだが、公式のゲームはあくまで同人ゲームとして発売されている。
4年間にわたり、半年ごとに1話ずつ発表されたこの作品は、4年間かからないと謎は明らかにならず、そしてほとんどの人が謎をとくことができなかった。
その「謎」の正統性も含めて、公式ファンサイトの掲示板はすさまじい勢いの書き込みで溢れ、謎の考察の文章がネット上に大量にアップされ、それらがマッシュアップされた。
二次創作が多くなされ、公式ファンサイトも推奨し、オリジナルのゲームに取り込まれ、「ひぐらしのなく頃に文学賞」というイベントが開催されるまでにファン層は広がった。
極めて局所的だが、深く刺さる体験として、コンテンツとプラットフォームが絡み合っていた。
最近のヒット作品は、コンテンツとプラットフォームを組み合わせ、そこでしか起きない「体験」を作り出しているものが多い気がする。
結論2
「体験」型のような、コピー出来ない生産物を販売する。
もしくは、コピー出来るものに付加価値をつけて売る。
手品、砂絵などが参考になるのではないか。
ただ、この結論では、現在の出版規模を維持することは出来ない。
課題
では、現在の出版規模とはなにか?
そこまで「創発」したものを「文化的遺産」と呼び、それを維持しようとするなら、多くの人のインセンティブを引き出す必要があるが、そうするにはどうするのか?
などを精査して考える必要があると思う。
おしまい
カフェ作りてぇ
ギークカフェは3年早かった気がする。時代がこれから追いつくのだろうと思う。