reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

ウォーラーステインの入門書を読んだ。

世界システム論」という名前は聞いたことがあったが、最近「グローバル化」について書かれた文章を読むとよく出てくるので、入門書を読んでみました。

Amazonのレビューだと、ウォーラーステインの著書の主翻訳者である川北稔さんの書かれた部分に読む価値があるらしい、です。

そうなのかー、と思いながら読み進めました。


「銃・鉄・病原菌」では15世紀から、「10万年の世界経済史」では18世紀から、現代の世界が出来上がったと書かれていた。

ウォーラーステインへの言及がどの程度あったか忘れてしまったのでもう一度読み返そうと思うが、概ね、15世紀からの「世界経済システム」が、ヘゲモニー・半周辺・周辺という分業システムに地域を飲み込んでいく過程が、現代の世界らしい。


ウォーラーステインも、「史的システムとしての資本主義」では、松岡正剛さんにバッサリ斬られているように、「経済原理主義」的だったようだ。


ウォーラーステイン自身は、著書の反響があるたびにそれらの問題を取り込んで、「近代世界システム論」をバージョンアップさせたようだ。

たとえば、

  • ムガール帝国を擁したインドが、ヨーロッパ的世界としての資本主義システムに組み込まれず、その崩壊以後に組み込まれたことは、逆にインドや東アジアにあった経済システムにヨーロッパが組み込まれたのではないか、

というA・G・フランクやM・N・ピアソンの指摘や、

なども組み込んでいる。


「近代世界システム」論では、「近代世界システム」を、これまで世界に存在した種々の世界システムの一つと捉えている。

世界システム」は、中心を持つシステム、つまり「帝国」と、中心を持たないシステム、つまり「近代世界システム」とに分かれる。

「近代世界システム」は16世紀ごろに確立したが、それ以前にも、それ以後も、この中心を持たないシステムを「帝国」化しようという試みがなされ、尽く失敗した。


その理由は、「コストがかかりすぎた」からだ、という。


「近代世界システム」は、現在の世界の成り立ちを、世界が大規模な分業体制に組み込まれ、その分業体制は、資源や農業、材料などのコモディティを供給する低賃金の「周辺」と、製造業などを担う「半周辺」、そして生産・流通・金融の全てにおいて優位を保っている「ヘゲモニー」とで成り立っている、と分析する。


ヘゲモニー」国家の優位は生産・流通・金融の順に確立し、その順に崩壊する。

オランダ・イギリス・アメリカ、という、これまでのヘゲモニー国家が通り抜けていった道だ、とのこと。


その循環を、経済が16世紀から、上昇局面(A局面)と下降局面(B局面)を循環しいるという「コンドラチェフ波動」の概念から、アメリカがヘゲモニー国家としての衰退局面にあるのが現在だ、ということのようだ。


気になったのは、先ほど松岡正剛さんの書評として取り上げられた「史的システムとしての資本主義」が本書でも解説されているが、ヘゲモニー国家が生まれず、「近代世界システム」が崩壊し死滅する、という事態になった場合、

近代世界システムが死滅したあと、地球は、全体として、ローマ教皇の漠然とした権威がヨーロッパを覆っていた15世紀の状況にもどるはずで、いわば『新たな封建社会』の到来が見られるだろうというのである
(「知の教科書 ウォーラーステイン」p.221)


これだけでも気の重くなる結論だけれど、もし「近代世界システム」が生き残った場合でも、

もし、世界システムが生き残るとすれば、世界人口の五分の一にしかならない中核諸国の国民のあいだでだけは平等が貫かれながら、残りの八割の人間は抑圧されつづけることになる。いわば『民主ファシズム』とでもいうべき状況である。『民主ファシズム』というのは、一見、民主主義的な様相を示しながら、実際には極めて抑圧的ともいえる現代の世界システムの基本性格が維持されるということである

ということらしい。



僕自身は、「経済主義的」どころか、制度や文化に重きを置き過ぎる部分に違和感を感じたので、ウォーラーステインは置いておいて、「グローバルヒストリー」について学ぶことにしました。


「10万年の世界経済史」で解明されていない、「産業革命はなぜ起きたのか」です。
この本ね。

かなり衝撃的だったので、後ほどまとめて書きます。