reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

2/3に読んだ本



話が通じないのはなぜか?いろいろな理由はあるが、根底にあるものとして「フレームワークが異なる」ことがあるようだ。フレームワークの説明は難しいが、同じ言葉でもベースにある知識・記憶・感情などが異なると、意味の違ったものとして使われ、それらが総じて異なる世界が作り出される、そういうもの、らしい。
一例だが、「湯水のように使う」というと日本では価値あるものの無駄遣いすることだが、湧き水も雨水もほとんど貯まらない島では、「湯水のように使う」とは最も大事に使うことを指す。ベースにある状況が異なるので意味が変わってしまう。
人と人との間で「フレームワークが異なる」ことを前提に、そのフレームワークを理解することで、「分かり合えない」から「通じる」に変えていくために、著者はまず、第2章で「人を知る」ことを提起する。
人を知るには、「『相手の関心』に関心を持つ」ことだ、と著者は言う。そして、「相手」とは、「全員」ではなく「一人ひとり」であるから、「『ひとりひとりの関心』に関心をもつ」こととなる。そのためのヒントを幾つか上げている。詳しくは本書をご覧ください。
人を知るだけでは、「話が通じる」ことはできない。「自分を知る」事が大切だ。自分のことは案外知らない。ここでも、「相手から見た自分」がどのようにみえるのかを、自分自身で客観的に見ることが大切だ。こころとか、信念とかではなく、あくまで他人から見た自分を見るのである。
そのうえで、「話が通じる」ために「他人」と「自分」をすり合わせるとき、変えられるのは「自分」である。そのためのヒントが興味深かった。
折り合わないときは、「1つだけ譲歩する」。
「負け」をイメージして、自分に大した影響が出ないことを知るとともに、逆に相手にとっては「負けカード」は最強のカードであることも知れば、負けることは怖いことばかりではなくなる。
相手の言葉を「翻訳」する。罵声も、親しいと思うから出てくる。本当に嫌いなら、「無視」である。これから関係を築きたいと思う相手の場合は、相手の言葉を、ワンクッション置いて、自分に都合よく「翻訳」することで随分ショックを受けずに済む。
それでもダメなら、席をたち、気分を変える、など。
非常に実践的な内容だった。
そこから最終章は、難しい内容を、「なぜ著者は難しい言葉や概念を使おうとしたのか」を考えながら読むことで、著者にとっての言葉や概念の「フレームワーク」を見つけ出せれば、「通じる言葉」として難しい内容も読み解ける、と、具体例をあげて示している。
たまたま手にとった本だが、非常に面白かった。
面白さを伝えられる文章力がないのが悔しい。(15分)

「男性性」が気持ち悪くてしょうがない


放浪息子」を10巻くらいまで読んだのだが、作品に出てくる「男」が、「男性性」を代表しているとしたら、これほど醜悪で救いようのない存在もないと思った。


「男性」に対して嫌悪を覚える人が、こういうふうな「男性」を嫌っているとしたら、自分もまたそう思うし、気持ちが悪くてしょうがない。

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なぜ「暫定憲法」が、完成された憲法よりも長命で機能しているのか?

現在もドイツの憲法である「ボン基本法」は、戦後暫定的に作られたものであるにもかかわらず、90年の東西ドイツ統一以後も、若干の修正を加えられたのみで、効力が続行している。


ボン基本法」は、正式名称を「ドイツ連邦共和国基本法」といい、その名には「憲法」という文字はない。

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「縦の線」と「横の線」

(付記)
「横の線」を横断するような、系譜学的な研究や考察があったら教えていただきたいです。


たとえば連合赤軍事件は「共産主義的思想の暴走」とか言われているけれど、その内実は、大塚英志氏が詳細に検証したように、


極めて現代的な若者が、極めて現代的な感性によって、極めて現代的な野蛮さを発揮して


起こした事件だということがわかる。

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「孫の代までの仕事」が10年で消えたケース

グローバル化」はジャーゴンではなく、具体的な物質的根拠と客観的なシステムを持っています。

そのひとつが、「コンテナ」です。


以下、「コンテナ」にまつわる、今もなお色褪せない話をします。

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心の災害派遣

東日本大震災のとき、ほとんどの被災者は、自衛隊の活動に感謝してくれた。しかし、一部の人々は、自衛隊員にも辛辣な言葉を浴びせた。自衛官が、”お上”の一部でもあるからだ。


上司が調整から戻ってくるまでの間、車の横で待機していた隊員が「おまえら、なにをボーッとしているんだ」と罵倒されたり、水を運搬した隊員が、「もう水はいい、ビールを持ってこい」と怒鳴られたり。


冷えた缶詰のラベルに「赤飯」(腹持ちがいいので、赤飯の缶詰が結構あるのだ)と書かれていたのを見て、「おまえたち、自分たちだけいい飯を食って。なにがめでたいんだ」と詰め寄られた隊員もいる。


隊員は、「なんとか被災者のためになりたい」と純粋な思いを持っている。その分、その被災者に罵倒されたとき、たいへんに傷ついてしまう。


そんな隊員にカウンセリングをするときは、この”惨事の後のイライラ”について説明する。


「イライラは症状である。イライラをぶつけることによって、悲しみに直面しないで済んでいる。君は、その人になにか言い返したのか」

「いえ、なにも言わずに、黙って耐えていました」

「それでいい。われわれにイライラをぶつけることによって、その被災者は他の人を攻撃せずに済んだかもしれない。悲しみを一瞬忘れることができたかもしれない。君が苦しい思いをこらえたことには、意味がある。君は、『心の災害派遣』をしたんだ」


「平常心を鍛える」下園壮太(p151-152)


特定の組織を美化するつもりではなく、単に自分にも同じようなことがあって、無かったのは、こういうフォローだった。


沁みた。


オタクと大人

とはいえ、やっぱ30超えたら大人なんだよな……というのがぼくの中ではシンプルな事実です。精神とか趣味とか社会的地位とか関係ない。だから大人がいなくなったとかいう話は、あんまりピンと来ない(大人になろうとしてる人の大人像を聞くと、たまにニーチェの超人くらい大人をなんかすごいものだと思いすぎてることがあって恐ろしい……)。

番組内外伝でも言ったけど、岡田斗司夫が90年代に言ってた「ぼくらオタクは子供なんじゃない。新しい形の大人なんだ」というのが、もはや当然のようになっているこの時代。ぼく個人としては、大人かどうか問われれば、社会的にはそうなんじゃないすかねと答えるしかない。

やはり作家の感性というものはすごいと思った。


はてな村のひとたちは、この言葉が突き刺さる人は多いんじゃないか。

「『非モテ』論争」は、形を変えた、「成熟を先延ばしにする行動」なので。

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