reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

「3人の囚人」の問題

ラカンの「3人の囚人」という話がよくわからない。
人間が主体性を獲得するプロセスを論じているらしいんですが、ピンと来ません。
ジジェクの説明を読んでわからないのだから、たぶんこのままだと一生わからない気がします。

色々バリエーションがあるようだけれど、一番わかりやすかったジジェクの例(「否定的なもののもとへの滞留」)をひきます。
3人の囚人がいて、ある時刑務所長が言います。
「お前たちの一人を釈放してやる。
今からやるゲームで勝ったやつをだ。
これからお前らは三角形に向かい合って座り、目をつぶれ。
その間に帽子をかぶせる。帽子は白と黒とがある。
かぶせ終わり、目を開けたとき、他の二人の帽子を見て、自分の帽子の色を当てたら勝ちだ。
わかったら立ち上がり、部屋の扉を開けて私のところへ答えを言いに来い。
お前らにかぶせる帽子は、ここにある5つ帽子のうちのどれかだ。
5つのうち、3つは白、2つは黒だ」
さて、囚人たちは座って帽子を被され、合図とともに目を開けた……


目を開けたとき、囚人が見る他の二人の囚人の帽子の色は、以下の3つのパターンが考えられます。

1)二人とも黒
瞬間的に自分の帽子は白だとわかるでしょう。これは帽子の色を見て直接的に推論できるパターンです。これをジジェクは「まなざしの瞬間」と言っています。

2)一人が白、もう一人が黒
囚人は考えます。
「もし自分が黒だったら?白い帽子をかぶった奴が立ち上がるはずだ。
でも奴は座っている。ということは、自分は白の帽子をかぶっているんだ!」
帽子の色だけではなく、他の囚人の行動を含めて推論しています。ジジェクは、推論のための時間が必要だという意味で、「理解のための時間」が必要だ、と言っています。
他の囚人の行動を含める、と言うことは、他の囚人が自分を見ているまなざしを含んでいるから、「間主観性を含んだ推論」と言えます。
いずれにしろ、これも論理的に導くことが可能です。

3)二人とも白
この場合がややこしい。
囚人は考えます。
「もし自分が黒だったら?他の囚人には一人が黒、一人が白と見えているだろう。そして誰も立ち上がらないから、自分は白だと推論するだろう。でも、誰も立ち上がらない。ということは、自分は白だ、と考えられる。
……しかし待て。もし自分が白だったら、誰も立ち上がらないのはヘンではないか?だって、もし自分が白だったら、他の囚人も、同じように二人が白、と見えているはずだ。だから、同じように推論して立ち上がるはずだ」
……そして全員が一斉に立ち上がり、お互いに目を合わせて黙り込んでしまった。そして次の瞬間−お互いが立ち上がったまま戸惑っているのを見て−われ先に扉に駆け込みます。

ジジェクは、この3つめのパターンの場合だけ、「真の私の生成」が発生する、と言っています。
というのも、3つめのパターンでは、他の囚人の帽子や行動だけでは私の帽子の色は推論できないからです。
どこまで推論しても不確定なままです。
だから、賭に出るしかない。立ち上がり扉に駈け寄り、自分が白であることを宣言する、と言うことが思考過程に含まれてしまう。

この先取り的な追い越し(追いつき=引き受け)が意味しているのは、因果的連鎖というものが(実は)結論をつけられない性格のものだということである。
「私は白である」と私がいうとき、私は私の存在に関する不確実性という空虚を埋める象徴的同一性を引き受けるのである。……私は単純に私がそうであるところのものを確証することが出来ない
「否定的なもののもとへの滞留」p150-151

要するに、自身を推論の中に組み入れてはじめて成り立つ推論がある、という理解でいいのでしょうか?
ある状況下で得られる全ての情報から、その論理的つながりを推察していくことで出来る網の目のような空間は、自身が行動した別の状況下では変化してしまう。その行動は、実際には別の論理空間のある立場を引き受けることである、と。



追記:パターン1,パターン2では、自分自身が行動しなくても自動的に決まってしまうが、パターン3では「私が〜だ!」と発言しないと完結しません。こういう不確定な状況の時にはじめて「自己」が生まれる、逆に言えばそれ以外のパターでは自己は生成しない(因果律で推測できるから)、ということ。
もう少し読み進めると、どうもこの「不確定な状況」とは、「無意識による抑圧」がすでに行われて忘却された後に、それを埋め合わせようとしている状況であると読める。我々は何が抑圧されたかは認識することが出来ず、その代わりに別のもの−対象a−で埋め合わせようとし、それは違う、と欠けた穴にはまるものを次々と埋め込もうとする。