権力は粛々と弾圧するよ〜東京都の「青少年保護育成条例」改正のきな臭さ
東京都の「青少年保護育成条例」改正が、「内心の自由を奪うのではないか」と懸念されています。
この懸念、東京都に関しては、非常にまっとうなんですね。
このあと触れますが、東京都には「前科」があるからです。
この改正を巡る動きや、その内容の問題点については多くの方が触れられているので、ここではすこし異なる角度でこの問題を見てみたいと思います。
結論は、「かなりヤバイ」です。
「改正案」は誰が出したか?
今回の「改正案」は「東京都青少年問題協議会」という会の答申によるものです。
この「協議会」、都が諮問機関として設置したもので、委員も都が選んでいるんですね。
wikipediaのリンク先を見ていただくとそのメンバーが分かります。
答申を受け取る側が委員を指定しているんですから、「協議会」と言ってもお手盛りなんですが、この間、委員長の「大葉ナナコ」氏に注目が集まりました。
非常に物議を醸す発言をした人ですね。
「児童ポルノの愛好者の人たちが児童に悪影響を与えるとか、漫画のひどいものが出ているといったら、その人たちはある障害を持っているんだというような認識を主流化していくことはできないものか」
「性同一性障害という同じ位置づけで、子どもたちに対する性暴力を好む人たちを逃がしていくとしたら、障害という見方、認知障害を起している人たちという見方を主流化する必要があるのではないか」
と、幾度も障害者差別の推奨とも受け取れる発言を行ない、更に
「これらの被害を与える人たちの傾向、生育歴とか、神経伝達物質とか、どんな症状があるのかということで、医学的な面からも、そういった人たちの属性を明らかにして、保護者の人たちに、痴漢が出るから、あのエリアは気をつけましょうと同じように、今、私たち保護者が育てている子どもたちの中にも、将来、児童への性虐待をする子どもたちが育っていくことを防ぎたいと思います」
と優生学的な差別を肯定するかのような発言を重ねた。また、規制の法制化に反対する動きに対してはエビデンス(証拠)を出す時間も必要もない暴力だと批判した。
委員長大葉ナナコ氏のプロフィールから
この方は本もたくさん書かれている方のようですが、今は「誕生学」を作りだした方、と言う肩書きのようです。
これがプロフィールなんですが、とくに研究者というわけでもないようです。
実績にしても、さまざまな委員に選ばれたと言うことで、その根拠などについては書かれていません。
プロフィールの経過を追ってみると、
03年「バースセンス研究所」設立。
これ、有限会社で、本人社長です。
2003年に有限会社バースセンス研究所を設立し、妊娠、出産、育児に係わる総合的な支援体制を研究する分野を「誕生学」と命名し商標登録する。
「誕生学」とはなんらかの学問の一分野を指すものではなく、登録商標された情報商材らしいです。
2005年有限責任中間法人日本誕生学協会を設立し、誕生学の次世代への支援する「誕生学アドバイザー」の育成を開始する。
つまり、「誕生学」のアドバイザー研修と認定を行い、資格を発行しているんですね、「誕生学」の。
要するに資格商売です。
費用: 受講料 171,200円
教材費 75,600円
誕生学アドバイザー認定料21,000円
「誕生学」に関する重要な点
「誕生学」についての具体的な内容は、「良いものです」以上のことは、ネットで調べてもイマイチ要領を得なかったのですが、重要な点が2点わかりました。
後者は別の機会に論じるとして、問題なのは前者の「性教育」です。
というのは、東京で「性教育」というと、それはある特別な<もの>を指し示すからです。
大葉ナナコ氏が、たとえ意識していなくても、東京都の、行政にとっての「性教育」は特別な意味を持ちます。
そしてそのことが、非常にきな臭さを漂わせています。
東京における「性教育」とは
東京都で性教育、とは、
「ジェンダーフリーを叫ぶ一部の、ポルノまがいの『過激な性教育』」
のことです。
行政や一部の議員はそう考えており、好ましくない、というより、存在を許してはならない、と考えているようです。
その象徴的な事件が、「七生養護学校事件」でした。
以下、事件の概要です。
学校で、人形などを使って子供たちに性教育をしていたところ、都議が学校を訪問し(と言うか乗り込み)、その後
「不健全な教育だ」
「(教材の人形などが)ポルノまがい」
「組合教師の暴走」
と都議会で取り上げ、産経新聞が大々的にキャンペーンを張りました。
そのため現職の校長が降格され、現場の教師は「異動」でちりぢりバラバラにされました。
しかし、ことの実際はこうでした。
読むのにつらい部分もありますが、引用します。
斜め読みできる程度に簡単にまとめると以下のとおり。
- 知的障害者のための養護学校(特別支援学級)で、小学生の男女数人がセックスしていたことが判明。
- 女の子の日記には「今日はXX君と遊んだ」とあった。 ススんでるとかいう話じゃもちろんなく、性衝動を抑制するだけの理性はもちろん危険性の理解も、とにかく「うかつにやっちゃいけないこと」という意識がまるで無いから。そういう知能レベルだから。
- 先生達は頭を抱えた。性教育をしなければと思った。でも健常者向けの性教育ではダメだと思った。なぜなら普通の小学生に視聴覚室で見せるような性教育を見て理解できるような知能レベルではないから。それが知的障害だから。
- 「女の子のマンコに男の子のチンコを入れるとそこから赤ちゃんが出てきてオギャアでかわいいんだよ」と、ど真ん中ストレートに教えることにした。婉曲的な言い方が理解できるような相手ではないから。(実際にはマンコはワギナ、チンコはペニス、という風に放送禁止用語が避けられているようだ)
- しかしそういう直球な言葉ですら現実的な理解に繋げられないから、しょうがないから自分達で絵やダッチワイフみたいな教材を作った。しかしそれでも人形で「ここが頭だよ」って言っても自分のこととは結びつけられないのが知的障害。しょうがないからオリジナルの歌を歌いながら「ここが頭」「腕だよ」「おっぱいだよ」と触りながら教えることにした。とても大切なところだと教えなければならないから。自分の体の大切なところを守り、他人に見せたりするものではないと教えなければならないから。それは自分以外の人にとっても大切なところだからうかつ触れたりしてはいけないと教えなければならないから。ハッキリくっきり具体的に正確にそう教えなければ理解してくれない子供達だから。
- 2003年、都議会議員の3人が登場。「極めて不適切な性教育だ!」「(先生の)感覚が麻痺しているんじゃないか?」 (いやですから健常者向けならば過激と言えるかもしれませんがここは知的障害者向けの特別支援学級だと何度言ったらry)
- 数々の手作り教材のほとんどが没収。教育委員会が登場して指導!指導!指導の嵐。校長は別件の難癖つけられて降格。先生は散り散りに異動させられる。
- ちなみに2007年のテレビ報道がコレ。(先述の動画とはまるで誘導ニュアンスが違うところがマスコミ報道のいい加減さということ。知的障害者向けの教室の風景であるという説明が一切無いので普通の小学校の授業と勘違いするコメント多数。普通の社会人なら何か違うとすぐ気づくと思うんだがなあ)
報道では「知的障害」の4文字がまったく触れられていませんでした。
そのため、
「どうせジェンダーフリーを叫ぶ一部の教師が小中学校の授業でちょっと暴走したんだろ」くらいに
受け取られたようです。
東京都で「性教育」といったら、
「組合の一部の連中が教室や子供を私物化して、ポルノまがいの嫌らしい内容を教えているけしからんもの」
なんですね。
だから、東京都で「性教育に対するアンチ」と言ったら、「ジェンダーフリーを叫ぶ一部の『過激な性教育』を推進する連中を排除せよ」ということなんです。
繰り返すと、大葉ナナコ氏がそのように考えていなくても、
従来の性教育とは違う
と言う発言で東京都の議員や行政が思い浮かべるのは、「ハレンチ教育をただしてくれること」なんです。
七生養護学校で起きたこと、これから起きる(かもしれない)こと
それをふまえると、今回の条例改正では多くの人が
「思想の自由を侵す内容」
と反対をしていますが、それは正しい。
そして、この条例改正案は、かなりやばいところまで踏み込む内容だといえます。
「弾圧とか、古い話でしょ?いまどきそんな野蛮なことするわけ無いじゃん」と普通は思うのですが、彼らには弾圧をした「前科」があります。
七生養護学校の事件では、行政による直接的な弾圧が粛々と行われました。
数々の手作り教材のほとんどが没収。教育委員会が登場して指導!指導!指導の嵐。校長は別件の難癖つけられて降格。先生は散り散りに異動させられる。
起こりえるかもしれないこととして、たとえば、
- コミケの会場を貸さない。
- 貸すかわりに全員の名簿を行政に提出させる。
- 小さいところ、目立っているところをピックアップして……あとはなんとでも。
行政の権力が及ぶ範囲では、そういうことは可能です。
そして行政は、可能な権力は使ってきたという過去があります。
正義の名の下に弾圧は行われてきた
常に「弾圧」は正義の名の下に行われてきました。。
「これは結局、あなたたちのためでもあるんだ」「社会が正常に機能するためには必要なことなんだ」「条例で決まっているんだから」など。
今回の条例改正も、「正しい」と信じる人たちによって提案され、進められようとしました。
しかし、その中のどれくらいの人が、この条例改正が、当初の目的である「児童ポルノの禁止」を逸脱して、「内心の自由」「表現の自由」の抑圧に結びつく、と考えているのでしょうか?
けれど、一旦条例が施行されれば、この条文は実際に効力を持ちます。
そして、直接影響を及ぼせる公務員に対しては、辞令によってその権力が行使されます。
その命令が、「この人間たちを弾圧せよ」という内容であっても。
長く公務員、とくに教師をやっている人はよく理解されていると思いますが、行政は、実に恣意的に異動や降格などの「処分」をします。
それはもう、頻繁に、粛々と、当たり前のように行います。
そしてそれはめったに報道されません。
実にきな臭い話だと思いませんか?
今回のこの「青少年保護育成条例」改正の経過は、上記の「性教育に対する弾圧」も経過に含めて考えると、よりリアリティを持って考えることが出来るのではないでしょうか。
参考リンク
非実在青少年条例改正の継続審議 今後の動向についてmixiから転載: 松浦晋也のL/Dさん
「継続審議」は、「廃案ではないということ」だそうです。
まだ終わったわけではない、という貴重な提言がされています。
追記−権力の介入の実例、もうひとつ
もうひとつ、私の思い出から
70年代終わりから、学校が全国的に荒れました。
私の近くにも、「札付き」と言われる学校がいくつかありました。
ある工業高校は、「ヤクザの育成学校」として恐れられていました。
その学校の番長の名前をうっかり口にすると、「おまえ殺されるぞ!」と友だちにたしなめられ、一斉にみんなが黙り込む、ということがよくありました。
そういうインパクトがありました。
わたしは子供だった当時は「こわい学校。無くなればいいのに」としか思いませんでした。
ですが、その後資料にあたると、意外なことが分かりました。
その学校は、70年代の初めまで、きわめて成績優秀な学校でした。
そのころはちょうど70年安保で、学生運動が盛り上がっていた時期でした。
今、学生運動というと大学生しか取り上げられませんが、実は高校でもかなり盛りあがっていました*1。
くだんの学校も、「安保闘争」で盛りあがりました。
そして結果として、行政によって教師の責任が問われ、そのときの教師は異動によりバラバラにされました。
そしてあらたにやってきたのは、都が「子供たちを管理できる」と考えた教師たちでした。
80年代の、管理教育の幕開けでした。
その締め付けと、子供たちの荒れとのあいだに直接的な関係を立証するのは難しいですが、実感として、「あー、たしかに荒れるわ」と思いましたねー
僕の中学は荒れていて、先生たちの管理とは「体罰上等」でした。
こんなことがありました。
私の友人があるとき、廊下で教師とすれ違ったら、いきなり襟首をつかまれ手近の印刷室に放り込まれました。
状況が理解できないまま、みぞおちを殴られ、うずくまったところをさらに無言で殴られたあと、うずくまる背中に教師は言いました。
「何ガン飛ばしてんだよ」
そしてもう一発、背中を蹴られたそうです。
この話って、彼の武勇伝として、昨日の出来事として私は聞きました。
それだけ、暴力が、感覚的に近いところにありました。
なので、子供たちも暴力はふるって良いと自然に思っていました。
わずか数年の、人事異動や処分によって、学校というのはいかようにも姿を変え、生徒たちの自主性を重んじる教育となるのか、体罰も辞さず締め付けを行うのかが変わってしまう。
そんな経験をわたしたちはしていました。
「権力の介入(ワラ」と思っていても、彼らはやるときはやります、粛々と、目立たずに、でも的確にポイントを突いて。