疎外について
補足的に。
労働が資本主義経済の勃興によって疎外され、商品が生み出される過程をマルクスは「経済学・哲学草稿」で以下の通りデッサンしています。
1.生産物の、労働者からの疎外
2.労働の、労働者からの疎外
3.人間の、類的存在からの疎外
4.人間の人間からの疎外
4つの中間項を媒介して、人間同士が疎外される資本主義社会が構築されるという論理ですね。
まず前提として、生産手段を持った人々と、労働力以外には何も持たない「自由」な人々がいます*1。
「自由」な人々は、労働力以外に交換できるものを持っていませんから、労働力を交換します。
このことによって、「労働力」が「商品」となります。
そして、労働者は自身の労働の果実を直接受けられないので、「労働生産物の、労働者からの疎外」が起きます。
「労働」も、生産手段を持った人々=資本家の指示に従い行われることになるので、労働者から疎外されます。
で、ヘーゲルによれば労働とは人間を人間たらしめている類的本質です。
だから、労働を奪われた人間は、人間としての類的本質を失ってしまいます。
人間としての類的本質を失った人間は、人間同士を結びつける労働に依拠することなく、貨幣によってしかその繋がりを作ることが出来ません。
それ故、あたかも商品同士が貨幣によって結びつき、人間が姿を消す、と言うような逆転現象が起きます。
人間が、人間から疎外され、貨幣によってしか結びつくことの出来ない社会、それが資本主義だとマルクスは指摘しました。
そして、その在り方は非人間的だろうと指弾したわけです。
ちなみに、「経済学・哲学草稿」を書いた時点のマルクスは、搾取、という仕組みを十分に解明していませんでした。
そのため、よく、この草稿の後に書かれた「ドイツ・イデオロギー」の時点のマルクスと「資本論」のマルクスは依拠する論理が異なっている、と言われますね。
*1:「労働力」と「労働」の違いの解明は、アルチュセールが指摘するように理論的断絶があり、その時期は「ドイツ・イデオロギー」の後です。ここではわかりやすさを優先させて書きました