「耐える」とは「見<ケン>」である。
筆者の言われる、「耐える」の定義が、たぶん読者に伝わらない。
「耐える」のは闘うか逃げるため。
闘うにしても逃げるにしても、まずは状況把握が必要。
可及的速やかに判断を下すにしても、何より大事なことは、状況に飲み込まれないこと。パニックに陥らないこと。
これはどんな環境に置かれても、まったく状況把握が出来ない場面に放り込まれたら、どの場面でも同じ。
一番怖いのはパニック。
また、状況は刻々と変わる。
だから、しばらく経つと、取り巻く状況は変わるかもしれない。
たしかに、早急に行動に移さず、「待つ」というのも、ひとつの有効な手段ではある。
状況把握とは、見ること。
見<ケン>である。
動いている状況をありのままに見ること。
でもいじめを受けている人に「耐えろ」と言ったら、たいがい眼耳口をふさいでじっとする。
じっと身動きせず、自分の感情を切り離して、なんとか「嵐」のすごるのをやり過ごそうとする。
そういわれたら、筆者は「え?!」と思うだろう。
「それは『耐える』とは言わない」と言うだろう。
「何にもしないで状況の好転を待ち続けるなんて、よくそんな甘い考え方ができるね。だからダメなんだよ!」と。
たぶん筆者のようなナチュラルボーンマッチョ(経歴を見て思った)な方ならそう言われると思う。
でも、少なくとも自分には、筆者の言われる「耐えろ」は「闘おう・逃げよう」とは(直ぐには)聞こえなかった。
この「耐える」という言葉の定義が伝われば、以下の懸念もなくなる。
懸念というのは、「心療内科に行けばいい」と書かれているが、直接的に自分が思うところは「睡眠」のことだ。
少なくとも、「眠れない」を舐めない方がいい。
眠れない。
薬で眠る。
これを始めると、普通の人は回復に何年もかかる。
今の若い人の標準的な生活は、明らかに睡眠が足りていないのだから、普通は誰も眠い。
眠いのは健康な証拠。
ところが、不眠というのは、眠いのに眠れない。
眠れないまま朝を迎える。
それで日中頭がまったく働かない。
つまらないミスをする。
だからさらに睡眠を削って「がんばろう」とする。
悪循環で体がどんどん壊れる。
普通の人は、たいがい眠いんです。
実は「耐えられる」事自体が、「どうしようも無くなった場合に取らざるをえないこと」ではない。
辞めても続けても、「溜め」の最後は体力。
それも加齢で衰える。
「耐えられる」ことは、経年劣化する「資産」。
よく眠って、それから考えましょう。
「眠ってなんていられない」という人は、要注意。