reponの忘備録

「喉まででかかってる」状態を解消するためのメモ

敗残兵から一言

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2008-02-26さん
404 Blog Not Found : 自己責任から自己権利へさん


当事者同士のお話は終わっているようなので、自分の経験を。




大学卒業して1年後、とある会社に就職した。




当時自分は警備のアルバイトをしていて、昼夜逆転、平日と休日も逆転した毎日だった。就職する気にはなれなかった。就職すれば過労死するまで働かされ殺されると思っていたから。実際、警備をしていた病院では、看護師も事務職もばたばたと倒れていた。元気なのは目つきがイってしまった管理職ばかりだった。大学の先輩や同期の人間も、正社員になったものはボロボロになるまでこき使われるか、失踪する人間ばかりだった。ちょうど就職氷河期の真っ最中だったこともあって就職先が見つからなかったこともあるけれど、それ以上に自分には就職は遠い話だった。




その頃、たまたま知り合った女性と交際し、ほとんど結婚の手前まで行った。同棲をし始め、幸せとは何かを知った。物心ついてから毎日のように死にたいと思っていたけれど、彼女と一緒にいる時間はその気持ちから解放された。


彼女は会社勤めをしていた。自分と正反対の時間を生きていて、すれ違う時間が多かった。もっと彼女と一緒にいたい。自分も会社勤めをすれば、彼女とちょうど時間が合うのではないか。安易な考えで、僕は就職先を探した。


大学の先輩が、就職先を探してくれた。大学時代に加入していたサークルのつながりで、活気があり、社会的にも有意義な仕事をしている、そういう会社だと聞いた。彼女も喜んでくれた。就職したとき、彼女からネクタイをプレゼントしてもらった。今も大切にとってある。




初出社日、何気なくタイムカードを見てみた。出社時刻が午前になっていた。嫌な予感がした。


予感は的中した。勤め始めて1週間もしないうちに残業が始まり、2週間経つと上司からボロクソに貶されはじめ、1月後には午前様の仲間入りした。彼女と会える時間は深夜のひとときと朝食と駅までのバスだけになった。それでも、好きなコーヒーを挽きながら、立ち上る香りを、彼女とほほをくっつけて楽しむ時間は心が安らいだ。




社会的に有意義な仕事の実態は、前任者が積み残した残務整理と役員のパフォーマンスをこなすことだった。ミスを責められ、なじられ、何度も退職勧告をされた。土日も仕事に出ることが多くなった。上司は「自分勝手に残業するな!」と怒鳴った。「だらだらやっているからミスするんじゃないのか?」と残業を逆に責められた。


僕のタイムカードは、残業無しのきれいなものになった。残業時間が記録されていると問い詰められるから、退勤時間になるとタイムカードを押し、そのまま残業を続けていた。ほかの人間も似たようなものだった。



責められたのは些細なミスだった。内部の閲覧資料で、罫線のズレくらいどうでもいいだろう。しかし、上司はそれを責めた。そんな些細なミスばかりを怒鳴られ、容姿や態度に結びつけて貶された。個別に呼び出された。会議でつるし上げられた。


なぜか。


お局が後ろで糸を引いていたからだ。そのことに気づいたのは3ヶ月くらい経ってからだった。お局は、若い人間の相談役だった。だから、気づかなかった。




その頃には自分の行動や言動がだんだんおかしくなってきた。長時間同じ場所に縛り付けられ、それは「おまえがミスしたからだ」と責められ続け、論理的な反論を「協調性がない」と断じられ、お局と上司の連係プレーによって仕事上のコミュニケーションを巧みに断絶させられ続けると、すべてが自分の責任のように思えてくる。慢性的な疲れと、興奮と消沈の反復の中で一種の洗脳状態になっていた。もうすべてがどうでもよく思えてきた。




お局は社内での自信の安定のために、次々とターゲットを変えていた。各個撃破だ。自分に格段の恨みがあったわけではない。けれど、自分はなぜ責められるのだろうと考え続けた。回らない頭で、考え続けた。周りが見えなくなっていた。




だんだんと、彼女との仲も冷めてきた。一緒にいられないこと、十分な応答が出来ないことがこれほどの障害になるとは思わなかった。彼女は僕の仕事の内容を理解していた。だからよりいっそう、愚痴を吐き情けなさを増す僕に耐えられなくなったのだろう。




ある帰りが早かった日。僕は久しぶりにビーフシチューを作っていた。キッチンにそのかぐわしい香りが立ち上る頃、彼女が帰ってきた。僕はすこし誇らしげに、シチューを指さした。「久しぶりに作ったんだ」彼女は笑わなかった。「話があるの」食べながらじゃだめかい?すぐに話したいの。なんだろう?うきうきしながら彼女の言葉を待った。「あのね、私、もうあなたと一緒にいられないの」


男女の仲に答えなど無い。僕の納得のいく答えを、彼女から引き出せることはなかった。別の人が好きになったの。彼女はそう言った。悪いところならどこでも直すから。そういうことじゃないの。それから程なく、彼女は部屋を出て行った。彼女から来た電話の奥から、男の声が聞こえた。僕と彼女は部屋を引き払った。一人きりの部屋は、僕には広すぎた。




まだ社会では、うつ病アメリカでの流行病で、仕事を辞めるなど愚図のすることだという意識が強かった。頭痛やめまいが耐え難くなり、医者に行ったら「甘えたいなら精神科に行け!」と怒鳴られた*1。自分には辞めた後の行き先が見つからず、結局残り続けた。残業は相変わらずだった。上司とお局のパワハラも相変わらずだった。耐える以外の選択肢を見つけることが出来なかった。




何度も会社に泊まった。宿泊代など出なかった。朝、冷たいシャワーを浴びるのだ。区の条例とかで、管理人室をおかざるを得ず、そこのシャワーを使えるのがありがたかった。


夜中、ふらっと社屋の屋上に上がった。ここから飛び降りれば、すべてが楽になると思った。自殺しても保険金が出る生命保険に入っているから、案外親たちも喜んでくれるんじゃないかな。明日の朝、出社してきた同僚は僕の骸を見てすべてを悟るだろう。けれど彼らは隠すのに必死かな?ムリムリ。隠せないよ。社屋の玄関に死体があれば、嫌でも世間の話題になるって。僕は一人でけらけらと笑った。笑い声が夜の闇に消えていった。




終電は混む。ぎゅうぎゅうと押されながら、運のいいときにはつり革にぶら下がることが出来、つかの間の眠りについた。終電で帰り着いた駅からの道すがらを、缶ビールを飲みながら歩いた。独りだった。仕事で見返してやると思った。仕事をきっちりと出来れば、上司も周囲も何も言えないだろうと思った。がむしゃらにやった。終電以外の日が珍しかった。仕事は単調だったが、慣れてくるにしたがいはかどるようになった。




6年が経った。社内では何人もの若手がいじめやパワハラ長時間労働に疲れ果てて辞め、部署間のバランスが不均衡になっていた。突然、6年間勤めていた部署から、異動になった。それまでの評価などはなかった。自分のやってきたことは何なのだろう?クビにならなかっただけましなのか。そんな思いだった。




新しい部署では、仕事時間が劇的に短くなった。残業は毎日2時間程度で終わった。信じられなかった。実質的な退社時間が7時台になった。




1週間連続で7時台の電車に乗った。6年ぶりだった。なんだか不思議な気持ちだった。






1週間も同じ電車に乗っていれば、嫌でも気づく。


その時初めて気づいた。7時台の電車が混んでいることに。




おかしいな。みんな終電で帰っているんじゃないのか?帰り道、独りでビールを飲んでいるんじゃないのか?


駅のプラットホーム、混雑する人混みの中。自分は周囲を見渡した。目をこらした。




若いカップルがいた。買い物帰りの主婦の集団がいた。7時台なのに赤い顔をしたサラリーマンたちがいた。笑っていた。みんな笑っていた。




なんだこいつら……?




何でこんな時間にふつうに歩いているんだ?仕事しているのがあたりまえなんじゃないのか?独りなのが当たり前なんじゃないのか?


なにかが、おかしくないか……?




何でこいつら笑っているんだ?仕事はどうした?明らかのあの若いカップルは仕事してないだろう。学生か?あの、百貨店の紙袋を抱えたおばさんたちも仕事してないだろ。何けらけら笑ってるんだよ。赤い顔したサラリーマン。俺の上司くらいの年齢だ。おまえら何しているんだよ。こんな時間に何しているんだよ。仕事はどうしたんだよ。もう酒飲んでるのかよ。どうなってるんだ?




どうなってるんだ?




周囲から音が消え、目に映る光景がぼやけ始めた。すべてが遠くに離れていく気がした。遠く、遠くに。




そして、視界の縁から白い光があふれ出し、目の前が真っ白になっていった……
































死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね


あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは




ぶっ殺してやる。こいつらみんなぶっ殺してやる!おまえら何笑ってるんだよ。何仕事もしないでのんべんだらりと歩いているんだよ。おかしいだろ!こんな時間に何でこんなに人がいるんだよ!仕事はどうした仕事はッ!!何やっているんだよおまえらあははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは








気味悪そうに女子高生が脇を通っていった。そりゃそうだ。いい大人が、泣きながら駅のプラットホームで放心状態で立ちつくしているんだから。自分だって気味が悪いと思うyo!




上記に揚げた自分の感情はきわめて不健全だ。言われなくても自分でわかる。トラウマに執着している。執着は人を不幸にする。しかし感じてしまうことはしょうがない。




そしてそれから4年、まだ僕は同じ会社にいる。


どこにも行くところがないから。キャリアも何もない30代に、どこに行くところがあるというのだろう?辞めさせられないだけましなのだろう。いつ肩たたきされてもおかしくないけれど。


ハロワでは、仕事の能力うんぬんではなく、パワハラやいじめに耐える体力があるのかどうかが問われた。さすがブラック企業を軒並みそろえているだけのことはある。人材紹介会社も似たようなものだ。スタメンはみんなブラックだ。一覧で並んだ企業名をコピーして、「企業名 ブラック」でググってみるといい。2chのスレが上位に上がるだろう。


どこで「責任ある選択」をしなかったのか。6年前の部署替えの時か。彼女と別れたときか。職場に勤める前か。生まれる前か。どこかで間違えたのだろう。今も間違え続けているのだろう。だから今こんな不安定な状態なのだろう。ずっと間違え続けるのだろう。


自己権利の行使。そうだね、そうだね!あははははははは。


責任ある決断!責任ある大人!そうだね、そうだね!あはははははははははははははははははははははは。


ははは


はは



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*1:あのクソ医者は今でも許せない