励ましあいたい
僕はブログで「チベットリンク」を毎エントリにつけている。
id:essa さんの呼びかけに応えてのものだ。
それがよい取り組みだと思ったからやった。
チベットの詳しい情勢は分からないが、「殺すな」で一致できると思ったから。
もともとはid:dankogaiさんがらみのネタで始めたが*1、実際機能すればいいと思っている。
少なくとも「場」を提供したいと考えている。
そういう僕の姿勢を「軽薄だ」と罵る声がある。
もっともだ。
僕は軽薄だ。
僕は、僕以外の人間を救うだけの力は持っていない。
でも、「救う」とは、なんだろう?
先のエントリで、「逃げる」ということについて書いた。
「世界は一つだ」「逃げ場所なんか無い」という人に対して、
あなたは、どこにいるのですか?
と問いかけた。
出来ることはたくさんあるよ。
チベットについて発言すると、必ず
などと言う人がいる。
僕に言わせれば、僕に対してそんなくだらない発言をしている暇があったら、あなたが行動すればいい。
僕の行動が間違っているのだったら具体的に訂正すればいいし、具体的に改善の道を指し示せばいい。
ブログなりSNSなりTwitterなり、表現できる場所は手軽にどこでもあるのだから、あなた自身のご意見を開陳すればいい。
本来すべきことは、相手にネガティヴなことを言うのではなく、ポジティヴな提案をすることではないか?
出来ることから行動している人間に対して、「下準備が足りない」「もっとちゃんとやるべきだ」「そうじゃない」というのは簡単だ。
で、そのやる気を削いでどうするの?
具体的な提案できないのに、そういうネガティヴなことを言ってやる気をそぐことは、いったいどうなの?
それぞれが出来ることなんて違うし、救うことなんて出来ない。
解決策は常に既製品ではなくオーダーメイドだから。
解決方法が「わからない」から始めるのに、「なぜわからないの?」と問うことは愚かしいことではないだろうか?
それは、自己防衛のための方策に過ぎないのではないだろうか?
サバイブ SNS も、「きちんとした企画もなく準備もないのに始めるのはおかしい」という意見そのものはアリだろう。
だが、誰がそれを発言するのか?
発言した人は、何かできないのだろうか?
「何かする」ことまで考えなくても、場があって、参加できることだけで僕は意味があると思う。
そこで、新しい言葉に出会って、新しい人に出会って、新しい場所を知って、自分自身が変わっていく経験が出来れば、どの場所でも良いと思う。
自分がいる場所はたくさんあった方が良い。
そのために、僕は様々な場をつくり、様々な場を利用し、繋がっていきたいと思う。
おしらせ
そんな、貧困者がつながり合うSNS、「サバイブSNS」メンバー募集中です!
「ゑえ、あの人が参加しているの?」という方もご入会いただけています*2。
どなたでも(もちろんid:dankogaiさんでも)加入できるほど、間口が広いSNSですので、よろしければ覗くだけでもぜひご参加ください。
貧困というのは、単にお金のある無いだけではない、というのが僕の今の認識です。
貧困者に必要なのは、繋がりであり、「思っても見ないような機会」をもたらしてくれる関係だと思います。
ご入会、歓迎いたします。
「web拍手」ありがとうございます
試しに設置してみたのですが、拍手いただけるとうれしいものですね。
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