連帯を広げていくために出来ること
湯浅誠さんの著書「貧困襲来」を読んでいます。
歯切れの良い論立てで、すいすい読めます。論旨が非常に明快で、これはとても勉強になります。
ご紹介いただいたid:hokusyuさん、ありがとうございます。
ぼくは、湯浅誠さんの名前はNNNドキュメンタリーの「ネットカフェ難民」に出ていたのを知っていましたが、本を書かれていたのは知りませんでした。
僕はとても不勉強です。
そもそも、社会保障を歴史的な文脈の中で捉える視角や欧米や日本における貧困の実態に関して全く無知としか思えない元ネタリンク先の中の人
そうですね。ご指摘の通り、僕はとても無知で不勉強です。
走りながら、学んでいくしかありません。
この湯浅さんの本はとても良い内容なので、読み終わったらまとめてエントリにしたいと思っています。
可視化しにくい「貧困」の定義から始まり、「格差」と「貧困」が異なることは非常に重要な指摘で、前半の山場をなしていますね。
僕は、社会保障に関しては現在社会保険労務士の資格試験を勉強しているところで、その範囲でしか知識がありません。
もし「社会保障を歴史的な文脈の中で捉える視角や欧米や日本における貧困の実態に関して」平易にわかるものがあれば、本でもネットの情報でも教えていただければ、と思います。
僕は、連帯を前提とした議論は、議論の相手を論破することを目的とするべきではなく、それを見ている第3者へのアピールとして機能させるべきだと思っています。
人文系はてなインテリのための、コメント対応力養成ギブス3点セットーー自称「文化人類学者」小田亮さんを事例として - (元)登校拒否系さんのエントリはとても示唆的です。
もちろん賢者たるhokusyuさんは百もそのようなことはご承知だと思いますが、議論の方向を広げていくには、そういった方向も必要かと思いますので。
昔も今も、人々はパンと劇場を要求するので、ネット上でも激しいバトルを求めていて、賢い人たちは(大塚英志先生のように)プロレスをすることが出来るのでしょうが、ぼくはあまりそういうのが上手ではありません。
それよりも、知らないことは知らないと素直に言って、教えを請いたいです。見ている方はつまらないかも知れませんが。
反省の多い人間です。
そもそも、立ちあがらない人々に対して「反貧困」の運動の側が切り捨てたことはありましたっけ。
運動の側が公式的にこういうことをしている、と言うことはありませんが、草の根では頻繁にされています。
「あっち側」「こっち側」という言葉が頻繁に出てきますよ。
昨日までただのお隣さんだったのが、学会員と共産党員だとわかったとたんにいがみ合ったり。生活の程度なんて変わらないんだから、ご本尊が誰だって良いのにね。
古い言説、新しい言説については項を改めて書きます。